08





「急な事だから今日はソファでいいですか?」

あの後彼女が今までお世話になっていた弟さんカップルに
丁重にお礼を述べて本当に少しの荷物を2人で持って引越し完了。

「大丈夫!」
彼女はニコニコな笑顔だ。
彼女の弟もニコニコだったけど…

「明日色々揃えましょう。今夜は疲れたでしょ?
ソファで申し訳ないですがゆっくり休んで下さい。」

そう声を掛けてリビングを出ようとした時…

「珱尓さん…」
「はい?……!!」

振り向いた瞬間愛理さんが僕の胸に飛び込んで来た!

「え?!ちょっと…愛理さん!?」
「…いやらしい気持ちじゃないの…本当に嬉しくて…夢みたいだから…」
「……愛理さん…」

「嬉しい……嬉し…い……うれしいよ…珱尓さん……」

ずっと僕の胸に顔をうずめながら僕の事を力一杯抱きしてめる。

「あたし珱尓さんの言う事何でも聞くから…
お行儀良くもするから…だからあたしの事追い出したりしないで…お願い…」

そう言って僕を見上げた愛理さんの瞳はうっすらと涙で潤んでた。

「…愛理さん…そんな気負いしなくていいですよ。
そりゃ多少約束はしてもらいますけど愛理さんには普通に過ごしてもらえれば…」
「本当にそれでいいの?」
「はい…」

言いながら自然になる様に彼女が僕の身体に廻していた腕をほどいた。

「じゃあお休みなさい。何かあったら遠慮なく僕の事起こして下さいね。」
「ありがとう。珱尓さん…お休みなさい……」



「……一体どんな心境の変化なんだろう…僕が女の子と一緒に住むなんて…」

ベッドに入って仰向けで天井を見上げながらそんな事をボソリと呟く。
もう後戻りは出来ない…そんな無責任な事…
あの時はああするのが一番良かったんだ…そう…良かった…

自分にもう一度納得させて…もう考える事はやめにした。
ああ…でも江里さんがうるさそうだな…なんてウトウトしてる頭でも考えてた…



「え?愛理さんって定時制の高校通ってるんですか?」

朝食の時の会話でそんな事が発覚した。
「そう…普通に高校通えなかったから…だからバイトも夜は出来なくて…
前は掛け持ちでやった事あるんだけど身体壊して色んな所に迷惑掛けちゃったから…
今はレジのバイトの時間を長くやる事にしてるの。」
「そうなんですか…」
「だから夜は9時半過ぎるかな…食事は学校で出るから…」
「え?そうなんですか?」
「皆働いてるから食べる時間無いでしょ?」
「へぇーー……」
「あ!もしかしてまた『苦労してるなぁ…この子…』とか思ってるんでしょ?」
ニッコリと笑って顔を覗き込まれた。
覗き込まれてもテーブルの反対側だからそう近くも無いけど…

「え?…いえ…偉いなぁ…って…」
「ホント?」
「はい。」

「珱尓さんに褒めてもらって嬉しい。ふふ…」

「…………」

「ん?どうしたの?珱尓さん?」
「え?あ…いえ…これからこうやって誰かと一緒に朝食を取るなんて久しぶりだなぁって…」
「どのくらい?」
「そうですね…8年かな?」
「……へぇ…じゃあ今は彼女はいないって事?」
「はぁ…まあ…」
「どうして結婚しなかったの?」
「え?その人とですか?」
「うん。」

「……タイミングか…気持ちの違いか…
きっとその人とはそう言う事にはならない人だったんでしょうね…」

ちょっと苦笑い…

「あたしは嬉しいな。」
「はい?」
「だってその時上手く行かなかったお陰でこうやって一緒に暮らせるんだもの ♪ ♪」
「…………」
「なに?」
じっと見つめてたから愛理さんが僕を不思議そうに見る。
「いえ…なんでも無いですよ。」

本当は何の戸惑いも無く…素直に僕と暮らせる事を嬉しいと
言葉に出来る愛理さんに驚いていた。
ずっと…僕にそうやって自分の想いを伝え続けてるんだよな…って…
それを平然と受け流してる僕って…

本当は……とっても嫌な男なんじゃ無いんだろうか……



「珱尓君って意外と女の子の扱いウマイわよね…」
江里さんが呆れ半分感心半分の顔で言う。
「何ですか?それ…」
「だってしっかりと同棲始めてるじゃない。」
「同棲じゃありません。下宿です。」

後々わかるとうるさいと思って愛理さんの事を江里さんに報告した反応がコレだった…
まぁ予測はしてたけど…

「でもこれから楽しみねぇ…」
「は?」
「だってどう見ても2人の間に進展ありそうだもの。」
「進展なんてありませんよ。まったく…」
「まぁいいけどね…次は一線越えちゃたって言う報告待ってるわね!」
「そんな報告ありませんよ!もう…」
「私も年下狙ってみようかしら…」

「…………」

そんな呟きは聞こえない振りをして飲みかけのコーヒーを一口飲んだ。



「……ふぅ…なかなか手間が掛かるもんだな…」

空いていた部屋で一人アパート暮しの時に使っていたパイプ式の組み立てベッドを
組み立てながらため息が出た。
「こんなに苦労したっけ?」
確かに組み立て方が曖昧だけど…軽く汗ばんで何気に息切れが…?

「まぁ…運動なんてしてないけれども…そんなに…?」

何だかがっくり…

「ただいま…あ…ベッド!」
「おかえりなさい。愛理さん。昔僕が使ってたお古で申し訳ないんですけど…
あ!この部屋使って下さいね。」
「ありがとう。お古なんて気にしないから…だって珱尓さんが使ってたモノでしょ…逆に嬉しい。」
「昨日から嬉しいばっかりですね。」
「フフ… ♪ ♪ だって嬉しい事ばっかりなんですもん。」
そう言って微笑まれた。
「………!!…さてと早く仕上げないとまたソファなんて事に
なってしまいますからね…頑張らないと…」

女性に微笑まれるのはドキドキとするものなんですね…

「あたしの為に頑張ってくれるのね ♪ 」

「………」
何とも調子が狂うんですけど…僕は笑うしかない…



「はぁ…完成しました!」
愛理さんが帰って来てから30分…何とか出来上がった。
「乗ってみていい?」
愛理さんがワクワクとした顔で僕に聞くから…
「どうぞ…」

クイッと汗ばんだ目元を手の甲で擦った…

「わぁい ♪ ♪ 」

その瞬間…

「わ ぁ !!コンタクトが落ちたっっ!!」

違和感の後視界がボケた!!
「え!?」
僕の声で愛理さんの動きがピタリと止まる。
まるでテレビで見たのと同じ様に…

「あ!あ!」

そしてそのまま勢い良く片脚を上げたまま前に倒れ込んでいく!
「愛理さん!!!」
咄嗟に愛理さんの身体に腕を伸ばして抱き留めた。
筈なのに…たかがベッド作ったくらいで僕の体力は力尽きてたらしい…
バランスを崩して2人で床に倒れ込んだ。

「きゃ!」 「わっ!」

なるべく庇ったつもりなんだけど…


「………いたたた…」
思い切り肩をぶつけた。
「愛理さん…大丈夫です……」

どう倒れ込んだのか彼女が僕の首にしっかりと両腕を廻して抱き着いてた。

「あ…愛理さん…その…これは…」
「だって珱尓さんがあたしの事抱きしめてるから…」
「え?あ…!」

そうか…最初に腕を伸ばしたんだっけ…

「初めて珱尓さんに抱きしめてもらっちゃった…」

とっても嬉しそうに僕に廻した腕に力を入れる…
以前の彼女だったら僕は間髪入れず自分から引き離してただろうけど…
本当の彼女を知った今はそんな乱暴な事は出来ない…

「起きれますか?」
「珱尓さんが起きないと無理…」

そう返事をしながら気持ち良さそうに目をつぶってる…

「………えっと…」
彼女の息が首筋に優しくかかる…
「珱尓さん…」
「あ…今起きますから…」
下になってた左腕に力を入れて起き上がると肩に痛みが走った。

「痛っ…!!!」

それが結構な痛みで身体がビクリとなって力が抜けて
愛理さんに覆いかぶさる様に右手を着いた。
今度は僕が彼女の首筋に顔を埋める事になって……

「……!!あ!ごめんなさい…男性にこんな体勢されたらイヤですよね…
本当に今起きますから…」

僕は左肩を庇いつつ何とか起き上がれる体勢に動けた。

「珱尓さんなら…いいよ…」

「…え?」

「珱尓さんになら…あたし何されたって…」

「!!!……い…いい加減にしないと怒りますよ…」

そう言ったけど何とも情けない声だった。

「ごめんなさい……」
「いえ…そんな謝らなくても…」

って…僕は一体何言ってるんだ……落ち着け…落ち着いて…

そんな事があっても彼女が僕に廻した腕を離さないから…
仕方なく彼女の背中に腕を廻して2人で一緒に起き上がった。

2人で床に座って…僕の膝を立てた足の間に彼女がスッポリと納まって…
僕の首に腕を廻してるからお互いの顔がすごく近い…

「もう…大丈夫でしょ?腕離して下さい…」

「珱尓さんて背も高いしガッシリしてて頼りがいがあるね…」
「倒れちゃいましたけどね…はは…」
「あ!」
「え?」
「コンタクト…目の中にある…」
「え?」
言われて慎重に目の淵を触ってみると2つ折りになったコンタクトがポロリと落ちた。
「目の中にあったんですね…ソフトだから折れちゃったんだ…」
「コンタクトが落ちたって言われると本当に動きが止まるって初めて知った…くすっ…」
「僕も使い捨てなんだから慌てる事無かったんですよね…すみませんでした…」
「ううん…珱尓さんとこんなにお近づきになれたからあたしは全然平気。
それに新しい部屋にベッドまであるし…」
「で…これ…いい加減離してくれませんかね?」
そう言って愛理さんの腕を指さした。
「あら…どうしよう珱尓さん…」
「はい?」
「手が…離れない…」
「また…そんな冗談は…んっ!!」

ち ゅ っ !!

「………!!!!」

いきなり…またキスされたっ!!!

「珱尓さん隙ありすぎよ…」
「あ…愛理…さん………」
「怒らないで…お礼と感謝の気持ちなんだから…
ベッド一生懸命作ってくれたしこんな素敵なお部屋貸してくれたし…何より…」
「……何より?」
「あたしの事庇ってくれたでしょ?怪我までして!!」
「……痛ったっ!!!!」
彼女が僕の肩をグッと押したから…
「ますます珱尓さんの事が好きになちゃった……」
「あ…あの…感謝する度に…その…キスするの止めてくれませんか?
結婚前の…恋人でもない男に女の子がそう簡単に唇を許すのはいかがなものかと…」
「そんな事気にしなくていいわよ…珱尓さん。」
「気にして下さい!!」
「アメリカじゃ挨拶でもキスするでしょ?」
「ここはアメリカじゃ無いし僕も愛理さんもアメリカ人じゃ無いしそれに普通挨拶のキスは頬でしょ?」
「あたしはもう珱尓さんの恋人だと思ってるもん。」
「勝手に思わないで下さい!僕はずっとそんなつもり無いって言って…」
「じゃああたしの事追い出すの?」
「……え?」
「言う事…聞かない悪い子だから…
でも珱尓さんあたしは普通に過ごしてくれれば良いって言ってくれたでしょ?
これが普通。珱尓さんの事好きなあたしが普通だから。」
「…それは…そう言う意味では…」
確かにそう言ったけどこう言う事じゃ無かったんですけど…
「だってあたしが珱尓さんの事好きだって言うのは前から知ってたんだし…
それでもあたしと一緒に暮らしても良いって思ってくれたんだからもう諦めてるんでしょ?」
「………諦めてるというか…気にならないと言うか…」
「じゃあ尚更いいじゃない。子供がする事と思って寛大な心で対応を望むわ。ふふ…」

とっても嬉しそうにニッコリと笑うけど…
その顔は本当に悪戯っ子の…子供の様で…

「じゃあ大人をからかうのやめましょう…お仕置きされますよ…」
「え?お仕置き??珱尓さんのお仕置きなら喜んで受けるわ。」

「…!!……どうして…あなたは…そう…」

もうつき合いきれなくて…ガックリ…
昨夜の…ここに来た時のしおらしさは何処に……!?


「お風呂出たら肩に湿布貼ってあげる。」
「え?」
「恋人ですもん。」
「だから…違いますって…もう…僕は…あなたの保護者ですから…
さあ立って!こんなに時間が経ってしまって…先にシャワー使っていいですか?」
見れば10時半を回ってる。
「うん。その間にこの部屋片付ける。」
「じゃあ…」
「ごゆっくりね。」

ニッコリと笑いながら小首を傾げる愛理さんを横目で眺めながら
今日から彼女のモノとなった部屋から早々に立ち去った。


「はぁ〜〜…疲れた…」

色々な意味で……

確かに…子供にふざけてキスされてると思えばそんな気にする事も無いんだけど…
見た目は子供じゃないし…見た目と言うより本当に子供じゃないし……

シャワーを浴びながらそんな事を考えて気が休まらない…でも…
彼女の顔がちょっとずつ…明るくなってきてるかな…なんて気もするし…
視線の端に肩が見えて…結構な濃さで痣になってた。
骨には異常無さそうだし…2・3日もすれば治るだろう…


リビングに入ると愛理さんが待ってましたとばかりに僕を捕まえてソファに座らされた。

「あの…愛理さん?」
「はい。上脱いで!」
「は?」
「湿布貼ってあげるって言ったでしょ?」
「大丈夫ですから…」
「ダメよ。ひどくなったらどうするの!」
「じゃあ自分でやりますから…」
そう言って湿布を受け取ろうとすると…
「遠慮しなくていいわよ。」
そう言って渡してもらえなかった…

「してませんって…本当に自分で出来ますから…ありがとうございます。」

そう言ってニッコリと笑った。

「………もう…ズルイな…珱尓さんは…」

「?…どう言う意味ですか?」
「年上オーラ全面に出されると言う事聞くしか無いもの…」
湿布を片手に俯いていじけてしまった?

「愛理さん僕はそんなつもりは…」

どうも昨日から僕は彼女に相当甘い気がする……
彼女の弱い部分を見てしまったからか…

「分かりました…じゃあ貼っていただけますか?」
「……!!はい。」

途端にパァっと愛理さんの顔が明るくなった。
分かりやすくて…こんな時に本当は無邪気な彼女が現れるんだろう…

シャツを脱いで上半身裸になった。
女の子に自分の裸の上半身を見せるなんて何年振りだろう…
まぁ子供じゃないんだしもしかして見慣れてるのかな…とも思う…

それなりに男性経験だってあるだろうし…
そうしなければ世の中を渡って来れなかったかもしれない……

「こんなに若いのに……」
「え?」

無意識に言葉に出てしまってたらしい…
しかもとんでもなくご丁寧に湿布を貼っていた所だったらしく
また近い位置で視線が合った。

今夜は一体どんな日なんだろう…

「いえ…ありがとうございます。本当にもう結構ですから…」

そう言って身体を動かして彼女から少し離れてシャツを着た。
脱ぐ時よりも着る時の方が痛かったけど平気なフリをして着た。
また痛いのかと心配されると思ったから…

「じゃあ…シャワー浴びてこようかな…」
そう言ってソファから立ち上がった…あれ…何だかやけに素直だな…
「そうですね…ごゆっくりどうぞ。」
「…………珱尓さん…」
「はい?」
リビングの入り口で愛理さんが立ち止まってる…なに?

「後悔…してる?」
「は?」

「あたしを…此処に置いた事……」

「……愛理さん…」
「だって…あたし本当に嬉しくて…こんなに自由な生活久しぶりだし…
それに…珱尓さんとずっと一緒にいられると思うと…もう舞い上がっちゃって…」
「後悔なんてしてませんから…気にしなくていいですよ。」
「本当?」
「はい。これでも愛理さんより大分人生経験積んでますから…
ちょっとやそっとの事じゃ動揺しませんよ。」

って思いっ切りキスされて動揺しまくりましたけど…
まあ…あのくらいなら何とか許容範囲内ですし……

「良かった!呆れられてるんじゃないかと思って心配だったんだ。」

「心配する事無いですから…」

「ありがとう。珱尓さん!じゃあシャワーお借りします。」

そう元気良く廊下に消えて行った。

「やっぱりまだまだ『女の子』なんですね…」

そんな事を呟いて愛理さんのいなくなったリビングの入り口を見つめながら微笑んだ。


でもこの僕の言葉で…
彼女が更に僕へのアプローチを強める事にしようと決意したなんて…

僕は知るよしも無かった……