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「あら?堀川さんは?今日は来てるはずよね?」

編集部に入って来た片平が室内を見回して誰に向かってでは無くそんな事を聞いた。

「ああ…20分くらい前に出かけたよ。」

ちょっと離れた席に座ってる男性社員がコーヒーを啜りながら教えてくれた。

「え?何処に行ったのかしら?今日は外出する予定なんて無いはずなのに…」
「さっき彼女と話してたけど?」
「!」

指さした方を見ると他の男性社員と雑談している平河女子がいた。

「彼女?」
「ああ」

スタスタと無駄な動きを見せずに彼女の傍に近付いた。

「平河さん貴方今日矢口先生の原稿受け取りに行く筈じゃなかったかしら?」

作家の情報は大まかな事は把握している。
確か数日前に彼女が同僚の女の子に

『またあのスケベ親父の所に原稿を引き取りに行かなくちゃいけない。』

と愚痴を溢していてのも聞いていた。

「ああ…私ちょっと都合が悪くて代わりに行ってもらいました。」
「代わりって…誰?」
「…………」
「誰?」
「堀川さんです。」
「え?彼女に行かせたの?」
「はい。たかが原稿取りに行くだけですから。他の先生の所へ行くのと同じじゃないですか。」
「貴方…本当にそう思ってるの?」
じっと彼女を見つめてそう聞いた。
「……………」
「矢口先生の”クセ”知ってるはずよね?貴方が担当なんだから。」

推理作家の 『矢口公三』 は原稿を取りにこさせるのは必ず女の子だ。
どうにか男性にと申し出たが断られ何度か交渉し渋々女性2人でと納得させた。
そんな条件でも人気作家となると編集部の方でもあまり露骨に言い切る事が出来ず…
ただ今までは何とか大きな問題も起きずにいる。

「…………私だって…何度も行ってますよ…原稿取りに…」
「貴方が行く時は他に誰か付いてってもらってるでしょ?
あの先生には女の子1人じゃ行かせないの貴方も知ってるでしょ?
……彼女1人に行かせたの?」
「……コクン…」
無言で頷いた。
「…貴方って人は…」
「だって片平さんも言ってたじゃないですか!
作家の先生のご機嫌を損ねるような事はするなって…
私前から言われてたんです。堀川さんを1度寄こしてくれって!」
「その意味が貴方にはわかってたんでしょ?それを上手くかわすのが編集者でしょ?」
「…………だって…」

彼女が何故こんな事をしたのか理由を聞かなくても分かる…一目瞭然だ。
小夜子ちゃんが 『舷斗』 の担当だから。

「だって…?何?まあいいわ。貴方の考えてる事はわかってるから。
後で編集長交えて話し合いましょう。」

そう言い放つと携帯を掛けながら部屋を出た。

「小夜子ちゃん…出て…」

そんな願いも虚しく携帯から聞えて来たのは電源が入っていないと言うアナウンスだった。



「済まなかったね。わざわざ来てもらっちゃって…」

言われた通りホテルの2058号室を訪ねた。
タクシーを使ったから思いの外早く着く事が出来た。
道も混んでなかったし…

「いえ…あの担当の平河さんがどうしても来れなくなってしまって…」
「ああ…構わないよ…折角来てもらったのに手直ししたい所ができてしまってね…
ちょっと待っててもらえるかな?」
「あ…はい…わかりました…」
「あ…携帯電源切っといてもらえるかな?僕バイブの音も気になるから。」
「はい…わかりました。」
バッグに入ってる携帯を取り出して言われた通り電源を切った。
「お詫びに…はいコーヒーでも飲んで待ってて。」
そう言ってコーヒーを手渡された。
「あ…すみません…」
「じゃあちょっと待ってて…すぐだから。」
「はい…」

そう言って先生は寝室に入っていった…
私はソファに座って渡されたコーヒーに口を付けた。
初めて会った先生だけどどんな人かと思ってたら…年は…40代?くらいかな?
気難しそうでもなく…一見普通のおじさん?に見えなくもない……



「………ん…何だろ……」

さっきから…凄く眠気が襲ってくる…
自分の意思とは関係なく瞼が重くて…頑張って明けようとするけど
眠気に勝てなかった…

風邪…治ったばっかりだから…まだ調子が悪いのかな…

なんて薄れ行く意識の中でそんな事を思ってた…




「は?小夜子さんがアイツの所へ?」

病み上がりの小夜子の事が心配で片平さんにこっそりと小夜子さんの様子を
聞こうと電話をしたのがグッドタイミングだったらしい。

『はい…何だか担当の子が小夜子さん寄こせって言い含められちゃったらしくて…』

まさか弥咲の事が原因とは言えなかった。

「あいつヤバイ噂かなりある奴だろ?女に手が早いって!」
『なんで急いでホテルに向かってるんですけど…
小夜子ちゃん携帯の電源切っちゃってて繋がらないんです。』
「ホテル何処?」
『A・Kプリンスホテルの2058号室です。』
「オレの方が近いからオレも向かう。」

たまたま外出先からの電話だった。
ここからなら10分もあれば目的のホテルに着く。

『お願いします。』

念の為に小夜子さんの携帯にオレも掛けてみたけど片平さんの言う通り
電源が入ってなくて繋がらなかった。

「くそっ…!!!」




「………すぅ……」

「フフ…他愛も無い…クスリも効いたらしいな…」

ソファに気持ち良さそうに寄り掛かって眠る小夜子に静かに近付く。

「やはり…思った通り可愛い子だ…まあ反応が無いのは残念だが…仕方ない…」

そう呟きながら伸ばした手が小夜子の頬を撫でる…
どうやら以前編集部に行った時に小夜子の事を見かけて狙っていたらしい。
抱き上げるとそのまま寝室に連れて行った。
ベッドに仰向けに寝かせブラウスのボタンに手を伸ばす…

ピンポーン ピンポーン ピンポーン

「!!…ん?何だ?」
一瞬ためらったがすぐ思い直した。
「まあ起きやしないか…」
そう呟くとベッドから降りて入り口のドアに向かった。

「はい?」
「ホテルの者ですが矢口様にお荷物が届いております。」
「荷持つ?」
荷持つが届く予定も無かったが不審に思いながらもドアを開けた。
ドア・チェーンはかけたまま…
「…………」
ほんの5センチほど開いたドアの隙間から廊下を覗くと…誰もいない?
「……?」

チェーンをかけたままだろうとは思っていた。
だから開けた瞬間を狙ってた。

「 ハ ッ !!!! 」

「………なっ……!!!」

バ  キ  ッ !!!! ド カ ッ !!!!

チェーンのかかったドアごと脚蹴りで蹴り飛ばした!!!

「ぐあっ!!!」
ドアが内開きで助かった。
勢い良く開いたドアに飛ばされて矢口が部屋の壁に激突してノビた。

オレはそんな奴には目もくれず部屋の奥に走った。
ソファにはいない…まさか…!!!
嫌な予感が背中を走った…遅かったか?

寝室の開いてたドアを勢い良く開けると…ベッドの上に小夜子さんが…
視界に入った小夜子さんは……良かった…服は乱れていない…
どうやら間に合ったらしい…良かった…本当に良かった……
オレはホッと胸を撫で下ろした。

「小夜子さん!小夜子さん!!」

名前を呼んで…身体を揺すったけど目を覚まさない。
きっとクスリを飲まされたんだろう…テーブルの上に飲みかけのコーヒーが置いてあったし…
それが奴の手口だ。
とりあえず眠ってる小夜子さんを抱き上げて寝室を後にした。
こんな所1秒でもいたくない。

部屋から出る途中ノビてる矢口が目に入ったがそのままにしといた。
本当は蹴りの1つでも入れてやりたかったけど今のオレの気分じゃ
手加減できる状況じゃないから内臓破裂を起こしかねない。

「助かったな…」

そう言い捨てて部屋を出た。


「………………」

同じホテルに部屋をとって小夜子さんを休ませてる。
時間差で駆けつけた片平さんに頼んで部屋を取ってもらった。
念の為に矢口の所に行くと言って出た行ってもう大分経つ。
まあ直接じゃ無いにしろ思いっきり殴られたに等しい衝撃を受けた筈だから
手当てでもしてるのか…

「小夜子さん……」

小夜子さんはまだ目を覚まさない…
風邪が治ったばかりで…体調が良くない所にクスリなんか使われたから
クスリの効き目が強いんだろう…

「小夜子……」

そっと頬に触れた…いつもはそんな事…出来ないくせに…

「……先…生…?」
「!!…小夜子さん気が付いた?」
「…え?なにが…です?」
「ううん…何でもない……」

どうやら意識がハッキリしてないみたいだ…ならその方がいい…何も知らない方が…

「どう…したんです?…先生…そんな顔して……私なら…熱も下がって…大丈夫ですよ…」

そう言って力なく微笑んだ…

「小夜子…」

「……んっ……」

愛おしくて愛おしくて…思わず唇を奪ってた。

「……うっ…ンア…」

思いっきり舌を絡ませた…

「……あ…先…生…?…ン…」
「………」

彼女のそんな声も耳の入らず…
しばらくキスを繰り返してそのまま首筋に顔をうずめた。

「……せ…先生…なに?」

「小夜子……」

「…あ…っ…」

オレの背中に彼女の微かな抵抗の腕の力が加わってる…
でも…そんなの無いのと同じ位弱い…
ブラウスのボタンに手をかける…その時ピタリと彼女の抵抗が止んで
オレの背中に感じていた腕の重みが静かに…滑り落ちていく…

「小夜子?」

また…眠ったらしい…
寝息の音が微かに聞えてる…


「オレ……何してんだ……」

自己嫌悪がドシャ降りの雨みたいに降りて来た。
頭から身体全体に広がっていく……

「こんなの…やってる事は…あいつと同じじゃないか…くそっ……」

クスリで眠ってる小夜子さんを…動けないのをいい事に…抱こうとしたんだ…オレは!!





「……ん…?」

目が覚めると…知らない部屋…此処どこ??私…どうしたんだっけ???
記憶がプッツリと飛んでて…わけがわからない…??

「気が付いた?小夜子さん……」

「弥咲先生!?」

声がする方に身体を起こしたら何故だか弥咲先生がベッドの横のイスに座ってた。

「ここ…何処ですか?私…」
「矢口先生の所に原稿貰いに行って倒れちゃったんだよ。先生から連絡が入って
片平さんと迎えに来たんだけどちょっと休んだ方がいいだろうって…部屋とったんだ。
ここは同じホテルの別の部屋だよ。」
「え?あ…イヤだ…私ったら…どうしよう…あ!原稿!!」
「片平さんがちゃんとやってくれたから何も心配する事無いよ。」
「え?本当ですか?はぁ〜〜良かった…」

ホッと胸を撫で下ろしてる小夜子さんを見てオレは胸がズキンとなってた…
何も憶えてないらしい…良かった…オレの方がほっと胸を撫で下ろした。

「熱が下がったからって無理しちゃだめだよ。まだ本調子じゃないんだよきっと。」
「…もう大丈夫だと思ってたんですけど…すみません…ご迷惑かけちゃって…
イヤだな…年かしら…」
両手で頬っぺたを押さえながら真面目に落ち込んでる。
「小夜子さんが年じゃオレはどうなんの?おじいちゃん?」
「……だって……う〜〜頭がボーっとしてる…」
「もう少し眠った方がいいよ…一晩ゆっくり休めば体調も良くなる。」
「でも…」
「たまにはホテルに泊まるのも良いもんだよ。」
「泊まった事あるんですか?」
「そりゃ何度か…ね…」
「………」
「なに?」
「いえ…」
「もしかして 『ラブホテルでしょ?』 とか思ってたんだろ?」
「まさか……!!」
「その慌てぶりに作り笑い…絶対そう思ってたよ。」
「被害妄想ですよ…先生!」
「ま…いいや何か食べる?ルームサービスで何か取ってあげるよ。」
「今は…いいです…あんまり食べたくないですから…」
「そう?じゃあ後で絶対食べるんだよ。体力つけないとね。」
「はい…」
「じゃあもう少し眠って…オレは勝手に帰るから。」
「え?帰っちゃうですか?先生!!」
「?…なんで?」
いきなり慌て出しだ?どうした??
「……ここ…出たり…しないですよね?」
「え?」
「ですから…アレですよ…アレ!!」
「アレ??」
もの凄い強張った顔してる…え?もしかして…?
「もしかして幽霊の事?」
「……はい…」
「うそ?小夜子さんそう言うの信じるの?」
「だって…良くテレビとかで聞くじゃないですか?旅先のホテルでって…」
「大丈夫でしょ?変な感じしないし…こんな都心のホテルだよ?」
「場所なんて関係ないです!!変な感じしないって…先生わかるんですか?」
「いや…当てずっぽう。」
「もう…いい加減なんだからっ!!」
「だって小夜子さん1人暮らしもしてるじゃない?なのに?」
「アパートとホテルは別です!どうしよう…やっぱり帰ろうかしら…」
「今帰ったって料金同じだから勿体無いよ。大丈夫だからゆっくりして行きなさいって!ね。」
「…はあ…」
「じゃあ片平さんに来てもらう?」
「いえっ!!それはいいです!これ以上迷惑掛けれませんから…」
「じゃあ……オレが泊まってあげようか?もう一度経験済みだし。」
「経験済みって何ですかっ!!変な言い方しないで下さい。」
「じゃあどうする?」

「……友達には…手を出さないんですよね?」

「……!!………うん。」

にっこりと微笑んだけど…小夜子さんにそう言われて…何故か胸の奥がズキリとなった…
さっきとは違う…そう望んだのはオレなのに…
本人に言われて…初めてその言葉の重さがオレに響いたのか…

「じゃあ…今日はベッドも2つあるんで大丈夫ですよね?」
「本当に…いいの?大丈夫?」
「なにがですか?」
「いくら手を出さないって言っても…男だよ?オレ…」
「先生の事…信用してますから。それに私は先生の憧れの女の子なんですよね?
そんな私に変な事しないって思ってますから。」
そう言ってニッコリ笑った。

小夜子さんにそう言ってもらうためにオレは念を押して聞いたんだ…
いまのオレの思いを閉じ込める事が出来る言葉……
小夜子さんが言う事で最大限に威力を発揮する…

「そんなに信用されてるなんて光栄だな。」
「あ…でもお仕事大丈夫なんですか?〆切…迫ってるんじゃ?」
「じゃあ今度は小夜子さんがオレの家に訪ねて来てよ。
差し入れ持ってさ。小夜子さんが傍にいてくれたら仕事捗るし。ね!」
「そんな事言っていっつもお喋りで終わっちゃうじゃないですか!
仕事が無事終わったら手土産持ってお伺いする事にします。」
「うわっ!何か小夜子さんホントに編集部の人みたい…
片平さんみたいになっちゃうんじゃないの?」
本気でそう思った。
「いいんですよ…それで。私将来は編集の仕事に携わりたいと思ってますから。」
「へー…そうなんだ。小夜子さんが勤める出版社で仕事しようかな?
そしたらオレの担当にって抜擢するから。」

「…!!…そうですね…そうなったらいいですね…」

そう言った小夜子さんは何とも言えない優しい笑顔で…
その笑顔をいつまでも小夜子さんの傍で見ていたいと…本当にそう思った…

「小夜子さん…」
「はい?」
「ずっと……」
「……?」

「ずっと…友達でいよう…もしも小夜子さんが編集の人になっても…
オレと小夜子さんは友達でいよう。」

ニッコリと優しく彼が笑う……

「そうですね…ずっと友達で……」

だから…私もニッコリと笑い返した………