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「昨日はごめん…小夜子さん…」

弥咲先生の家のリビングで先生と2人…私はソファで…
先生は出窓に寄り掛かりながらコーヒーを飲んでる。
話題は昨夜の事…


「いえ…気にしてませんから。それより大丈夫だったんですか?
あの人…スナックのママさんなんですよね…」
「あれ?何で知ってるの?」
「この前実家の近くでお見かけしたんです。父に教えて貰いました。」
「え?あ…そうなんだ。色々お世話になってる人でさ。」

色々…ですよね…

「綺麗な方ですね。」
「そうだね。美人だよね。あ!小夜子さんに申し訳なかったって謝っといてくれって
頼まれたから智捺さんの代わりに謝っとく。」
「そんな……つわり酷いんですか?」
「ああ…波があるみたいだけどね…こればっかりは…ね…
日にちが経てば治まるらしいけど。
男はこう言う時何もしてあげられないから…」

「………嬉しい…ですか?」

「え?ああ…最初聞いた時はびっくりしたけどおめでたい事だからね。」

「ですよ…ね」
「?…小夜子さん?」
「……すみません…私…他の先生の所に行かなくちゃいけなくて…失礼します。
また伺いますので…」

「小夜子さん…?」

先生が変に思ったかも知れないけど…私は足早に先生の家を後にした…



ああ…そう言えば……

おめでとうございますって…言いそびれちゃったな……

あの時…もし…先生の腕を掴めてたら…

あのまま先生の家でお酒を飲んでたら…少しは今までと…変わってたのかな……

なんて思ったけど結局はどうにもならない結末が待ってたんだし…
昨夜はあれで良かったんだと思えた…

これで…そう…前と同じ…私と先生は…『いつまでも友達』のままだ…



あれから何事もなく2週間が過ぎようとしてる…
次に先生が私の家に泊めてと言ったら断るつもりだ。

あんな2人を見ちゃったら…何だか何で私の所に泊めるのか…
泊めなくちゃいけないのか…疑問に思い始めたから…

ちょっと勝手過ぎるかな…なんて思ったけど前とは状況が違うから…
きっと先生はあの人と結婚する…
だから…私とはもうこんな変な関係続けない方がいいんだ…

ただの…普通の友達に…作家と編集者になった方が良い…本当にそう思った。

「小夜子さん最近元気ない?」
「そんな事ありませんよ。どうしてですか?そんな風に見えます?」
「何となく…ね…」
「きっと担当の先生の原稿の仕上がりが上手くいって無いからじゃないですかね。」
「それってオレの事?」
「まあ他に1名ほど…」
「はは…良かった。オレだけかと思った。」
「先生もそうなんですから早く仕上げて下さいね。遊びになんか行かないで下さいよ。」
「息抜きだって!!」
「息抜きが多すぎるんですよ!社会人としての自覚持ちましょうね。」
「……ホント真面目だなぁ…小夜子さんは…
だってオレの事待っててくれる人がいるんだからしょうがないじゃん!!」

「 !!!! 」

一瞬身体がピクリとなった。
「ですからちゃんと仕事をした後なら私だって何も文句言いませんよ。」
「はいはい…じゃあコーヒー淹れてくれると嬉しいなぁ…それに仕事も捗るんだけど…」
「わかりました。じゃあ私はコーヒーを淹れたら帰りますのでちゃんとお願いしますよ。」
「あれ?最近小夜子さんすぐ帰るよね?なんで?前はゆっくりしていったのに。」
「先生1人を担当してるわけじゃ無いんで。」
「そうかな?なんか淋しいな……」
「…………」
「…?小夜子さん?」
「え?…ああ…いえ…」

だめだ…最近こんな感じばっかりで…知らぬ間に考え込んでる…
でも何を考え込んでたのか憶えていない……

「あ!今度ねここの家譲ってもらう事にしたんだ。」
「え?」
「結構気に入ってるし持ち主の人もオレになら売ってくれるっていうし…
オレマンションとかあんまりタイプじゃないからさ…」
「へぇ…そうなんですか…でもなんでまた急に?」
「え?前々から考えてはいたんだけどさ…オレも年だし…落ち着こうかなって。」

「……そうですか……着々と家族計画進めてるんですね…先生…」

「え?」
「いえ…じゃあちょっと待ってて下さい。今淹れてきますから。」
「…ああ…うん…よろしく…」

そう言ってキッチンに向かう小夜子さんを見送った…
何だろう…?本当に最近小夜子さんの様子がおかしい…

態度は至って普通だけど…何処か前と違う気がする…

何だ?オレ??小夜子さん怒らせるような事したのかな??

そんな記憶…無いんだけどな……



何だか最近アパートに1人でいるのがちょっと辛くて…
頻繁に実家に帰る事が多くなった…

今日も夕飯でも食べさせて貰おうと実家のある駅に降り立った。
少し遅めに着いた家には珍しくお父さんがいない…まさか…

「お父さんもしかしてまた飲みに行ってるの?」
「そうよ…まあ昔ほどじゃ無いけどね…」
「ふうん……」

もしかして…彼も行ってるのかな……


「……ふぃ〜〜」

11時を過ぎた頃お父さんが帰って来た。
「お帰り…」
「おう…小夜子来てたのか?」
「うん…ねえお父さん……彼も…来てたの?」
「ああ?ああ…あんちゃんか?いや…今日は来なかったな…」
「そうなんだ……」
「………はぁ〜〜あ……」
「どうしたの?」
お父さんがあからさまに溜息をついたから気になって聞いてしまった。
「いやな…ママがさ…明日田舎に帰るんだってよ。」
「……え?」
「前々からそう言ってはいたんだけどな…田舎に引っ込んでノンビリ暮らすんだってよ…」
「彼は…?」
「ん?」
「弥咲先生はその事知ってるの?」
「さぁな…でも話してるんじゃねーか?
俺りゃあてっきりあの2人はくっ付くもんだと思ってたのによ。」
「………うそ…だって…あの人妊娠してるって…」
「ああ?ホントか?全然分からなかったな…あんちゃんの子供なんかな……
店はお店の子が引き継ぐらしいが…ママがいなくなるんじゃ…淋しいよな…はぁ〜〜〜…」

「…………」


私は心臓がドキドキで…
夜が明けるのをじれったく思いながら待った。
そして出勤する前に早めに出て彼の所に駆け込んだ。



「先生っ!!!弥咲先生!!!」

リビングに飛び込むなり叫んだ!
彼は銜えタバコでコーヒーを飲んでた。

「…え!?…何??え?…小夜子さん?どうしたの?こんな朝早く!?
〆切ならちゃんと守って……」

「何寝ぼけるんですかっ!!!ちゃんと起きて下さいっ!!!」

「え?起きてますけど……ホント…どうしたの?小夜子さん?」

惚けた顔が私を見てる…まったく…この男は…

「あの人…スナックのママさん…智捺さんが今日田舎に帰るって…知ってるんですか?」
「え?どうしたの急に?」
「知ってるんですかっっ!!!」
「………うん…知ってる…田舎に帰って子供育てるんだって…」
「育てるって…先生はそれでいいんですか?」

「いいのかって…それは彼女が決める事で…オレは口出しできる事じゃないから…」

「………な…ほ…本気でそんな事言ってるんですか?」

「?…小夜子さん?」

「馴れ馴れしく私の名前なんか呼ばないで下さい!!」

「……え?」

「……男として…人として…
ちゃんと責任取れない様な人に名前なんか呼ばれたくありませんっ!!」

「…え?ちょっと…小夜子さん…言ってる意味が…」
「まだ間に合いますっ!!早く彼女の所に行って引き止めて下さい!!」
「え?」
「女1人で子供を産んで育てるなんて…並大抵な事じゃありませんっ!!」
「…………」
「先生!!」
私は至って真面目にそう叫んで先生を真っ直ぐ見つめた。

「わかった…間に合うかどうか分からないけど…行ってみる…」

「はい!大丈夫!間に合いますよ!!先生の足の速さなら!!」

思わず両手をグッと握った。

「………うん…じゃあこのコーヒーあげる。」
そう言って飲みかけのコーヒーを渡された。
「……はい…いただきます…」
「じゃあ行ってくるから…鍵…掛けといてね。」
「……は…い…あ…!」
先生が私の頭をポンポンと撫でた。

「ありがとう…小夜子さん。」

先生がニッコリと笑って……出て行った…



私は…今更ながら…自分が何をしたのか納得した…後悔はしていない…

これで良かったんだと…思って…る…思って……


手渡されたコーヒーカップを両手で握り締めた…
溢れた涙はワザと拭かずに放っておいた…だから両方の頬を涙が伝って落ちてる…

「う…苦い…」


手渡されたコーヒーに口を付けてそんな一言が漏れた…

そう言えば彼のコーヒーは……ブラックだった……