67





──  耀くんの知らないオレがいる…
       でもそれは絶対知られてはいけないオレの秘密… ──



オレは夢を見てる…
ここは夢の中だ…人混みで オレは立ち尽くしてる…
そんな人混みの中に椎凪を見つけた…ホッとして…名前を呼んだ…
大きな声で呼んでるのに…椎凪は気が付かない…
ずっと…何度も… 大きな声で呼んでるのに…
手も…伸ばしてるのに…届かない…
椎凪は振り向きもしないで…どんどん…歩いていく…

オレを…おいて…


椎凪に 起こされる前に目が覚めた。
心臓がドキドキしてて…すごく…不安で…
ベッドから飛び起きるとキッチンに走った…
キッチンには椎凪のうしろ姿が見える… いつもの…光景…
「あ!耀くんおはよ。もう起き…うわっ!!」
オレに気付いた椎凪に後ろから抱きついた。
「 ? ど…どうしたの?耀くん?」
心配する椎凪をよそにオレは腕を椎凪の首に伸ばして
オレの方に引き寄せてキスをした。
「 !? 」
椎凪は少し驚いたみたいだけど持っている包丁がオレに 当たらないように
気を付けつながらオレを抱きしめてくれた…
長い長いキスをしてお互い見つめ合う…椎凪はオレを抱きしめたまま
「どうしたの?何かあったの?」
って優しく聞いてくれた…
「嫌な…夢…見た…」
椎凪に廻した腕に力が入る…
「夢?」
「椎凪がどっか行っちゃうんだ…オレが呼んでるのに気が付かないで…
どんどん一人で…どこかに行っちゃう……オレをおいて…」
「オレは耀くんをおいて何処にも行かないよ…大丈夫だから…」
包丁を置きながらオレを抱きしめて言っ てくれた…
「うん…分かってるけど…すごく…嫌だった…グズッ」
不安で不安で涙が出た…
「耀くん…」
椎凪がそっとオレの顔を両手で包んで持ち上げる…
「泣かないで…オレいつも耀くんの傍にいるから…」
優しくオレの唇に椎凪の唇が触れる…
「椎凪…オレの傍から絶対…離れないでね…オレを…一人にしないで…」
ギュウっと椎凪を抱きしめた。
そんなオレのパジャマのボタンを椎凪がそっと何個か外して肩から脱がせた…
首筋に…椎凪の柔らかくて…暖かい唇の感触が伝わる…
オレはだんだん…不安が無くなって…いつもの様に椎凪に身体を預けた…
「……んっ…あっ…」
立ったまま2人で絡み合って…椎凪のあったかい手がオレの 身体を優しく撫でていく…

「…ハッ…あ…あっ…」
オレの身体に椎凪のキスの雨が降る…オレの敏感な場所を狙ってる…
あっという間に息も絶え絶えになって…って…ん…?
「…はぁ…椎…凪…」
「ん?…」
「…なんか…コゲくさい…」
「ん?…え?…うああっっ!!そうだ!!たまごがぁっっ!!」
オレを抱きかかえたまま 椎凪が慌ててガスレンジを振り返った。

今日はオレが遅く出る日だったから椎凪を玄関まで見送った。
「じゃあ行って来るね。耀くん。」
いつもの様にニッコリと 椎凪が笑う。
「うん…」
そう言っていつもの様に行ってらっしゃいのキスをした…

繋いでた手を…ゆっくりと離していく…
本当は離したくなかった…ずっと繋いでいた かった…
嫌な胸騒ぎがしたんだ…この時は…椎凪のこの笑顔が見れなくなるなんて…

夢にも思わなかった…

家を出てすぐ携帯が鳴った。
「はい?…はい了解。」
現場はすぐ近くの資材置き場だった。
「なに?どうしたの?」
「椎凪さん!」
一足先に来ていた 深田さんに声を掛けた。
「一昨日の殺人事件の犯人なんですけど…アパートに踏み込んで逃げられたそうです…」
「そんで人質取られちゃったんだ…」
見ると建設資材の積み上げられた上に若い女の子を盾にして包丁を突きつけてる男がいる。
無精ひげを生やし追い詰められて多少パニック状態らしい…
目の焦点が 合っていない…
「奥さんが密告したと勘違いしてて…余計逆上しちゃって…」
「で?奥さんが説得してんだ…」
他の刑事と一緒に一人の女の人が犯人に一生懸命 話かけてる…
それが余計犯人を逆上させてるみたいに思えるけどね…
「椎凪さん?」
オレは犯人に向かって歩き出した。
「おい!お前。」
犯人に向かって 話しかける。
「何だっ!!来んじゃねーっ!!」
包丁をこっちに向けて怒鳴り散らす。
積み上げられた資材に足を掛けて何段か上がって話しかけた…
「お前さぁ…奥さんの事信じてやれよ…奥さんがチクッたんじゃないんだからさ。
それにこれ以上ゴネるとさ…」
「 ! 」
犯人が後ろに後ずさり固まった… オレはまた何段か上がっていく…
「射殺されるよ…いいの?」
『オレ』で思いっきりふてぶてしく笑ってやった…
「ちっ…近よんじゃねーっっ!!」
「きゃっ!!」
いきなり人質に取っていた女の子を思いっきりオレに突き飛ばした。
「あぶな……!」
オレはその子を抱きかかえバランスを崩しその場から 後ろ向きに落ちた!
ヤベェ……そう思った時…

「 ゴッ !! 」

「椎凪さんっ!!」
「椎凪っ!!」
鈍い音と共に自分が崩れ落ちて いくのがわかる…
頭が…痛い…意識が…薄れていく…

あ…耀くん…ごめん…
オレ…また怪我しちゃったみたい…だ

…耀…くん…


大学でオレの携帯が鳴った。
オレに電話してくるなんて椎凪くらいしかいないからてっきり椎凪だと思った…
でも和海さんからだった…

「え?椎凪が? わかった…すぐ行くからっ!!」
身体が震える…どうしよう…
「祐輔…椎凪が…椎凪が怪我したって…一緒に来てっ!!」
祐輔に抱きついて何とか自分を落ち 着かせた…

病院に着くと教えてもらった処置室の前に和海さんが立っていた。
「和海!」
「祐輔さんっ!」
「椎凪は?」
まさか…命に係わる怪我 とか…心臓がドキドキしっぱなしだった…
「怪我は大した事ないので安心して下さい…」
「本当?良かった…」
そんな言葉にホッと胸を撫で下ろした。
「今はまだ眠ってます…ただ…」
「ただ…?」
祐輔が和海さんと話してる間オレは待ちきれなくて先に処置室に入った。
見るとベッドに腰を掛けて座っている 椎凪のうしろ姿が見える…
頭に包帯を巻いてて…でもオレが入って来たのに気が付いて
首だけ後ろに廻してオレを見た…
「椎凪…気が付いたんだ…」
椎凪に 向かって歩き出した…良かった…本当に良かった…
「 !?…耀っ!! 」
「え?」
後から入って来た祐輔がオレを呼び止める…
椎凪がジッとオレを見上げ て…そして信じられない言葉を言った…

「 お前…誰だ? 」

「え……?椎凪?」
…今…椎凪…何って…言ったの…?
言われた言葉の意味が 理解出来ない…え…?

耀に向かってそう言い放った椎凪…
ったく…切れモード全開じゃねーか…あのバカ…
オレは厄介な事になったと心の中で舌打ちをした。


お医者さんが言うには傷の方は一週間もすれば治るって言う事だった…
問題は…記憶の方…お医者さんにもいつ戻るか分からないって言われた…
オレは…本当は物凄いショックを 受けていた…
椎凪が…記憶喪失…オレの事…忘れちゃったんだって…オレの事…
今にも涙が出そうなのを何とか堪えた…

「どうすんだ?連れて帰るのか?」
祐輔が心配そうにオレに尋ねた。
「うん…だって他に行く所ないもん…椎凪…」
「大丈夫か?」
「うん!家の方が早く記憶戻るかもしれないだろっ!」
オレは平気な振りをして笑って見せた…これ以上祐輔に心配かけたくなかったから…
「椎凪帰ろ!」
「帰る?何処に?」
不審そうにオレを見る椎凪…胸がギュッと 締め付けられる…
「オレと…椎凪の…家だよ…」
搾り出すように言葉を出した…また零れそうになる涙を必死で堪えた…

家までの帰り道…椎凪はスタスタと オレの前を歩いてく…
こんな椎凪見た事無いんだよな…記憶喪失のせいなのかな…ちょっと…怖い感じがする…
何かに怒ってるみたいな…でも記憶が無いのに何 怒ってんだろう…?
「あっ!椎凪!」
家に帰る曲がり角を椎凪が直進しようとしたからとっさに椎凪の腕を掴んだ。

「 !? 」
… バ ッ !!

椎凪がビクッと反応して思いっきりオレの掴んだ手を自分の腕から振りほどいた!
オレは…何も言えず…動けなかった…
「あ…何だ?」
困ったような顔をして椎凪が少しオレとの距離をとる…
「家…そっちじゃ…ないよ…」
「!?…ああ…」
オレは下を向いたまま答えた…だって…涙が…零れそうなんだもん…
椎凪に見られる訳にはいかないから…
オレは両手をギュッと握りしめてしばらく動けなかった…
…うー…椎凪の……バカ…

「ここが椎凪の部屋だよ…」
「オレの部屋?」
数時間前までこの部屋のベッドで…椎凪と…一緒に寝てたのに…
夕べだって たくさん2人で愛し合った…
そんな部屋の中を椎凪は無言で見つめてるだけだ。
「少し休んでてよ…コーヒー淹れるから…」
「………」
リビングのいつもの ソファに座っても椎凪は何も思い出さない…
「これ椎凪のカップ…覚えてる?」
オレと一緒に買いに行って2人で選んだオレと色違いのカップ…
「………」
無言で飲み始めた…だめか…
「何か覚えてる?」
「…ここに…暗い穴がある…そう感じる…」
そう言って自分の心臓の辺りを指で触った…
「暗い穴?」
「オレにしか分からない…感じない…」
そのまま黙り込んでしまった…
今の椎凪は何かにピリピリしてる感じ…それが何かわからないけど…

「オレは何で君と暮らしてる?友達か何かなのか?」

「 !!! 」

そんな椎凪の一言がオレの胸に突き刺さった…あ…もう… だめだ…
涙を…止められない…
溢れ出した涙がオレの頬を伝って零れ落ちた…
でも…だめだ…泣いちゃだめだ…椎凪が…変に思う…
「何で泣く?オレ何か したのか?」
そう言って椎凪がオレの方に近づいて来た…
「……なっ…泣いてなんかないよっ!!」
椎凪に背を向けて見えない様に涙を拭いた…
「ウソつくな! 今泣いてただろ?…… ! ! 」
椎凪が一瞬固まった…
「椎凪…オレ…椎凪に会いたいよ…椎凪に…会いたい…」
そう言って…目の前の椎凪に抱きついた…
堪えても堪えても涙が 止まらなくて身体が震える…
「オレは…椎凪じゃないのか…?」
静かな声で椎凪はそう聞いた。
「ううん…椎凪だよ…でも…オレの知らない椎凪なんだ…」
「?」
椎凪が不思議そうな…困ったような顔でオレを見下ろしてる。
「オレにも良く分からないけど…でも…君も椎凪なんだろ?」

そう言ったこの子をじっと見ていると…なぜか今のオレは この子にとって
すごくヤバイ気がするのは何でだ?この子…オレの…何だ?
「 痛っ!! 」
急に頭痛がした。
「椎凪っ!大丈夫?」
そのままソファに 倒れ込むように座った。
「そんな…顔…するな…大丈夫だから…」
心配そうに覗き込まれて慌ててそう言った…
でも…なんだろう…ヤバイ…このままだと…
言いようの無い不安がオレを襲う…くそっ…イライラする…


椎凪…部屋から出てこないや…こんな事…初めてだ…
オレは一人ソファで座っていた…

『 耀くん…好きだよ… 』

いつもの椎凪の声がする…
自分の身体を自分でギュと抱きしめた…いつも椎凪がそうしてくれてたのに…
「うっ…」
寂しいな…こんなに近くに椎凪がいるのに…オレ寂しいよ…椎凪…
オレはそのまま泣きながら眠ってしまったらしい…

飲み物を飲もうとキッチン に向かった…
リビングに入るとあの子がソファで膝を抱え眠ってる…
閉じた目には涙らしきものが光ってる…泣きながら寝たのか?
さっきこの子が教えてくれた… オレ達は付き合ってたって…

…なんでオレの恋人は男の子なんだ…?

理解出来なくて何だか変な気分だ…
「風邪ひくぞ…」
声を掛けられて肩を 揺すられた。
「ん…」
ゆっくり顔を上げると椎凪がオレを見下ろしていた…
「椎凪…?」
ボンヤリと椎凪の顔が見える…思わずオレは…
「 椎凪っ!! 」
「 !! 」
もう我慢できなかった…寂しくて心細くて…不安で…椎凪に抱きついた…
「オレの事わからないのわかってる…でも…少しだけこうさせて!!」

椎凪を抱きしめた腕に力を込めた…いつもの椎凪…
なのに椎凪はぎこちなく立ってるだけだ…
いつもと少しも変わらない椎凪なのに…どうして…
オレを…一人にしないって言ったのに…椎凪のうそつき…
オレのこと…抱きしめてもくれないんだね…椎凪…

椎凪の両腕は力なく椎凪の両脇で揺れてる…
椎凪…オレ…どうにかなりそう…我慢しても…涙が止まらないんだ…椎凪…


いつもオレの事を抱きしめてくれてた椎凪の腕は…
最後までオレを抱きしめてくれる事はなかった…