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椎凪が記憶喪失になった…
オレの事何も覚えてなくて…椎凪の事…抱きしめたのに…
椎凪はオレを抱きしめてはくれなかった…


…怖い…
オレは眠る 事が出来ず震えていた…
怖い…夜が…闇が怖い…
オレを…飲み込んでオレはそのまま暗闇に囚われてしまいそうだ…
何でオレの中にこんな恐怖があるんだ…
記憶が無くて…その理由が理解できなくて…怖い…

オレは椎凪がそんなに怯えているなんて…知らずにいた…
オレも…眠る事が出来なくて…ベッドの中でずっと 泣いていた…
別々に寝るなんて…喧嘩した時はあったけど…こんなのって…嫌だ…


少しでも記憶が戻るかと思って慎二さんの所に出かけた…
「どうですか? 何か思い出しました?」
「ううん…全然…」
「あ…橘慎二さんに…新城祐輔…祐輔には昨日会ったよね…」
「……」
無言で2人を睨みつけてる…なんで?
「あ…!そうだ。コーヒー切らしてるんでした。耀君。申し訳ないんですけど
下の事務所から貰って来てもらえます?」
「!…うん…わかった…」
「……」 「……」
…ばたん…

「ちょっと椎凪さん?一体どう言う事?」
橘と言う男がオレの方を振り向きながら話しかけた。
「た・か・が・記憶喪失で僕達の 事忘れたどころか耀君の事まで忘れるなんてっ!!
僕にあれだけいつもいつも宣言しといて…
耀君がいないと生きていけないんじゃなかったんですか?
それなのに… 忘れた?ふざけんじゃないって感じなんですけどっ!!」
何だ…こいつ…急にオレを責め始めた…
でも…何だ…ドキドキして…言い返せない…
「あれほど耀の 事傷付けんなって言ったのに目が真っ赤だったぞ…ずっと泣いてんだろ?」
「ショック与えれば治るかもしれないね…」
何処から出したのかそいつの手には ハリセンが握られている…
「オレはただムカつくから。」
もう1人は指を鳴らしながらやる気満々の態度だ…
「…は?…」
何だ…こいつら…でも…なんだ… 手を出しちゃいけない気がする…
オレは何故か避ける事もせず…素直に2人の攻撃を喰らった…
……はっと我に返る…
「お前ら…!!」
ムカッときた。
「何ですか?」
「何だよっ!」
まさに2発目をやり合おうとした時あの子が戻ってきた。
これまた何故か3人共何事も無かった様に振舞う。
何故かオレまで…
「どうしたの?」
ちょっとさっきと違う空気に耀が不思議そうに聞いた。
「いえっ。何でもありませんよ。椎凪さんに色々思い出してもらおうと話をしてたんです。
ありがとう。耀君。すみませんね用事頼んじゃって。」
「…?…」


慎二さんの所から戻りながらお昼を食べて家に戻った…
椎凪はすぐ自分の部屋に行って しまって出てこない…
オレはキッチンに立ってた…すぐ椎凪の事を思い出してしまう…

『耀くん。おはよう愛してるよ。耀くんの好きな物いっぱい作ったよっ! 沢山食べてね。』

「うっ…」
椎凪のそんな声が聞えてくる…オレは立っていられなくてその場にしゃがみ込んだ…
「椎…凪…うっく……椎…凪ぁ…うーっ…」

「また泣いてんのか?」
「 !! 」
後ろから突然椎凪に話しかけられた…あ…全然気が付かなかった…
「……コーヒー飲みたいんで淹れてもらっていいか?」
「あ…うん…わかった…」
慌てて涙を拭いて立ち上がった。
そんなオレを見ている椎凪はすごく冷たい瞳をしてる…
オレの事なんてまるで眼中に無くて… 本当に記憶喪失のせいだけなのかな…
何故か椎凪の根本的なモノがいつもと違う気がしてならなかった…

リビングで2人コーヒーを飲んでいる時椎凪が唐突に 切り出した。
「オレがいると辛いならオレ出て行くけど?」
「え?」
椎凪が何を言ってるのか分からなかった…
昨日から椎凪の言う言葉が時々理解できなくなる。
別に難しい事を言ってる訳じゃないのに…
きっといつもの椎凪の顔でいつもの椎凪が言わない事を言われるからだ。
「オレ見るたんびに泣かれたんじゃな… それにこのまま記憶が戻んなきゃ出て行くつもりだし…
遅いか早いかだ…」
オレを真っ直ぐ見つめてる…本気なんだ椎凪…
「何…それ…」
やっと出した声は 小さくて震えてる。
「オレの事はほっといてくれって事…大体オレ他人と暮らすなんて向いてない。」
「椎…凪…本気…なの…?」
声がまた震える…手をギュッ と握った…

「ああ…一緒に居る意味が無い。」

ば っ ち ーーー ん !!!

オレは思いっきり椎凪の頬を引っ叩いた!
椎凪は無言で オレを睨んでる…お互いしばらく黙って睨み合っていた…
「何すんだお前…痛てぇじゃねーか…」
椎凪がオレに向かって物凄く怒った目を向けて文句を言った…
「そんな顔したってダメだよ!恐くないもんっ!!オレ椎凪の全部知ってる。
椎凪がオレに暴力なんて絶対振るわない!」
オレは真正面から椎凪を見て話し続けた…
「何が出てく?そんなのオレが許すわけないだろ?椎凪のいる所はここなのっ!!この家!
椎凪がいるべき場所はオレの傍なのっ!!オレから離れたら椎凪1日ももたないよ。
保障するよっ!!それにオレが泣くから出て行くんじゃないだろ?自分が不安だからだ!
だから一人になりたいんだっ!」
椎凪は黙って…驚いたようにオレの言う事を聞いていた…
「記憶が無くて戻らないかもしれなくて…それが不安でそんな姿オレに見せるのが嫌だから
出てくって言ってるんだろ?一人になったら椎凪っ!死んじゃうよ!寂しくて!」
「………」
椎凪はオレを見つめたまま黙ってる…

「不安なら…オレが無くしてあげるから…」

椎凪をそっと抱きしめた…
「オレがいつも椎凪の 傍にいるから大丈夫…椎凪は何も…心配する事なんて無いんだから…」
そう言って椎凪を見つめた…そう…オレが椎凪の不安を無くしてあげる…
最初に決めてた事 なんだ…思い出した…

『椎凪の事…オレが全部受け止めてあげる…だから…不安にならないで…』

誰かが前にも言ってくれた様な気がする…オレはそれを 聞くと安心してた…
それを言ってくれたのは…この子なのか?

「好きだよ椎凪…愛してる…愛してるよ…」

そう言ってオレはオレの記憶の 無い椎凪に初めてキスをした…
椎凪は拒んだりはしなかったけど…
やっぱり何処かぎこちなくてオレを抱きしめてはくれなかった。

いつもと変わらない キスなのに…
……何でこんなに…切ないんだろう…


椎凪が記憶喪失になって3日目…

夕べはずっと椎凪と話した…
ほとんどオレが一方的に 今までの事を話したみたいだったけど…
それでも…いいんだ…
椎凪は不思議そうにオレの話を聞いていたけど何度かオレに質問もした…
「耀君(そう呼んでと言い聞かせた。)から見た椎凪ってどんな奴?」
「え?」
椎凪は オレに殴られてから随分大人しくなった…どうしてだろ?

耀君に怒られると…すごく不安になる…
でも…抱きしめてもらって…キスしてもらったら… 何でだろ…こんなにも安心する…

「今のオレとは違うんだろ?」
「椎凪は…いつもニコニコ笑っててね…優しくてオレの事いつも好きって言ってくれる…
一緒に居ていつもオレを安心させてくれる…
でも本当はすっごく寂しがり屋で小さな子供みたいなんだ…」
なんか椎凪が椎凪の事聞いてくるのって…変な感じ…
「オレが…笑ってる?本当にオレなのか?」
「え?」
「オレはニコニコなんて笑えないっ!!笑おうとも思わないっ!!」
「なっ…」
まさかそんな返事が 返ってくるなんて思わなかった…
本気で思ってるんだ…椎凪…
「くすっ」
思わず小さく笑った。
「?!…何で笑う?」
椎凪がチョットムッとして言い返して きた。
「だって…それが椎凪だもん…きっと今の椎凪はその椎凪が抜けちゃった椎凪なんだね。」
そう言って耀君はニコッと笑った…

オレは…耀君には 逆らえそうも無いと…その時悟った…

2人で街に出た。
いつも出かけている場所に行けば何かのキッカケになるかもしれないし…
でも何かこの 椎凪…もの静かで落ち着いてて…なんだろドキドキする…
夕べ椎凪を殴ってからオレも落ち着いたのか…少し気持ちに余裕が出来た…
そのせいか椎凪の事を眺めて いる時間が増えて…
こんな風になっちゃった…
いつもの椎凪は2人で外に出かけるとずっとオレと手を繋いではしゃいで…
隙があれば人通りがあろうと誰が 見てようとすぐキスしようとするんだ…
でも…今の椎凪は…そんな事を考えながらボーっと椎凪を見つめていた…
「なに?」
オレの視線に気が付いて椎凪が 問いかける。
この椎凪は感が鋭い…って言うか周りに敏感…
「うっ…ううん…」 
まずいよ…まずいっ!!何なのコレ?相手は椎凪なのに…
心臓がさっき からドキドキいってる…
「どうした?気分悪いのか?」
そう言ってオレの顔を自分の方に指で持ち上げる。
「…………」
「な…何でもないよ…ご飯食べよう。 ね?」
そんな椎凪の指から逃げて慌てて前も確かめず歩いた。
 ド ン ッ !!
「わっ!!」
誰かにぶつかった。
「あ…ごめんなさ…!!」
謝ってる途中でガッシリと身体を掴まれた。
「うひゃあ!!可愛い子!俺ゲットね!!」
「…え?…」
見上げると全然知らない高校生位の人…しかも男の人4人も… 囲まれた。
「…あ…あの…」
オレはビックリして…何?何がどなってるの?
「君から俺に飛び込んで来てくれるなんていいよぉ!!大歓迎!!」
「いえ… あ…あの…」
オレは何とか逃げようとしたけどガッシリと掴まれて無理だった…
イヤだ…どうしよう…怖い…
「じゃあこれから俺達と楽しい事しようか?俺の 部屋で!」
ニッコリとワザとらしく笑う。
「ちょっとぉ会ってすぐにそれはヤバイんじゃね?」
「何言ってんの。まずは身体の相性だろ?」
「そっか? だよなぁなんせ自分から飛び込んで来るくらいなんだから。ギャハハ!!」
この人達…オレの言う事なんて聞く気無いんだ…
身体が震える…オレ…オレ…

「おい。その子離せ。」

オレ達の後ろから椎凪の声がした。
「ああ?」
「何?お前?彼氏??」
「……椎凪…あ…」
椎凪の方に行こうとしたのに 後ろから羽交い絞めにされて動けない…
「お疲れさん。この子は俺達が面倒見るからお前用済み!はい。さいなら。」
そう言ってバカにした様に話す。
「聞こえねーのか…その子離せって言ってんだよ。」
「 …!!…」
椎凪の周りの空気が変わる…
今までオレは椎凪がこう言う喧嘩をしてる所は見た事が無い…
路上で絡んで来た相手を椎凪が相手にするなんて…
祐輔なら高校時代いやって言うほど見て来たけど…
そう言えば椎凪は見た事が無かった…
刑事だからこんな事は日常茶飯事なんだろうけど…でも今の椎凪は…
恐いと 思った…
「カッコつけてっと死ぬよ?テメェ。」
慣れた手つきで1人の男の人がナイフを出した。
「…椎…凪!!」
オレの叫び声と同時に椎凪に向かって ナイフが伸びた。
「…ぐあっ!!」
紙一重で椎凪は軽く避けると肘鉄を相手の顔に入れて倒れそうになる男の人を
引っ張り上げた…首を掴んで…
「…!!!」
「…聞えねーの?その子離せって言ってんだよ…
何度も言わせんじゃねーよクソガキが!じゃないとコイツの喉潰すぞ。」
「…がはっ!!げほっ!!」
喉を掴まれてる人が呻き出した…椎凪の手に力が篭ってるのが分かる…椎凪本気なんだ…
「……!!…」
他の人にもそれは伝わってる…だって椎凪…喉を掴んでる 手に力を込めながら笑ってるんだ…
うっすらと口元が笑ってるのがわかる…
愉しそうに…笑ってる…しかもオレ達を見つめてる瞳は…暗くて…重い…
オレこんな 椎凪知らない…見たこと無い…誰?この人誰なの…
「…たす…け…」
掴まってる男の人が擦れる声でそう言った…その時オレを掴んでた腕から力が消えた。
オレはすぐ椎凪の方に走った。
「さっさと言う事聞けよ。バカが…」
そう言うと掴んでた手を離して男の人の背中を蹴った。
ヨロヨロと仲間の方に歩いて行く… そのまま男の人達は離れて行った…
「………」
椎凪が無言でオレを見下ろしてる…瞳はさっきのまま…暗くて重くて…
「…ありが…とう椎凪…」
オレは何とか 声に出した…変じゃ無かったよね…普通に言えたよね…

その時…椎凪を呼ぶ声がした。
「 椎凪ぁ!!」
声と同時に瑠惟さんが椎凪の胸倉を両手で掴んで つるし上げた。
「記憶喪失ですってっ!!ふざけんじゃないわよっ!!」
いきなり凄い剣幕だ…
「……!」
椎凪は突然の事で目が点になってる。
「瑠惟さん…?」
オレもビックリだった…
「あんたあんなにあたしに耀君の事好きだの愛してるだの言っといて
全部忘れるなんて何事よっ!!」
「ちょっと…瑠惟…」
そんな 乱暴にして記憶喪失がひどくなったら…
「そんなもんだったのっ?あんたの気持ちはっ!!見損なったわよっ!!」

「……って言われても…それにあんた誰?」

椎凪が思いっ切り迷惑そうな顔でそう言った。
「 !!…なっ… 」
あっ…もう瑠惟さんの怒りは頂点だ…ちょっと瑠惟さんってば…まっ…
「なんですってぇーーっっ!!椎凪のくせにナマイキッ!!」
バ ッ キ −−−−−ン !!
「 ブッ!! 」
思いっきり瑠惟さんのパンチが椎凪の右の頬に入った…
「…………」
椎凪は頬を押さえたまま動かない。
「わあああっ椎凪っ!!大丈夫?」
「ちょっと 瑠惟さんっ!!」
後ろから堂本君が瑠惟さんの腕を掴んで椎凪から引き離した。
「離せっ!!堂本!!ぶん殴れば治るわよっ!!」
既に椎凪を1発殴った瑠惟さんが そう喚き散らした。
「ダメですってばっ…すみません…椎凪さん…耀さん…」
「ふんっ!じゃあいいわっ!これで耀君はあたしのものねっ!
今のあんたに耀君 必要ないでしょ?」
そう言ってオレに抱きついて自分の方に引き寄せようとした…

その時…椎凪の手が伸びてオレの手を掴んで自分の方に引き戻した…

「あ…」
……椎凪……?
今オレは椎凪の腕の中に居る…うそ…

「それはダメらしい…オレじゃないオレが許さない…」

オレの頭の上でそんな椎凪の 声が響いた…