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─── ヒュン…

空気を裂くような音を立てて鞭が舞う…

─── ビシッ

「 !!…か…はっ… 」
一瞬息が止まって…背中に激痛が広がっていく…
オレは何処かの部屋に連れて来られて…
天井から繋がる鎖に両腕を吊るされている…

─── バシッ

2発目が背中に叩き付けられてオレは歯を食いしばった…
「 ぐっ… 」
…ジャラ…
繋がれた鎖が音をたてる…
「痛いでしょう…」
一人の女がオレに近づいてオレの顔を撫でながらそう言った…


事の起こりは一週間前…仕事中呼び止められた。
「椎凪慶彦さん」
はぁ?誰だ?フルネームでオレを呼ぶのは?
振り向くと大型の黒塗りの高級外車が一台オレと 平行して道路に止まってる。
これまた黒ずくめのガタイのいい男が降りて来て後部座席のドアを開けた。
中から二十歳前後だろうか…品のいい…それでいて見るからに
高飛車そうな女の子が降りて来た。
「……?」
オレはこの子を知らない…何の用だ…?
「初めまして椎凪慶彦さん。私くし海野陽子と申します。
単刀直入に 申しますわ。私くし…あなたが気に入ってしまったの。」
そう言ってニッコリと笑ってオレに近付くとオレの身体に腕をまわした…

彼女が言うには数日前に 犯人を取り押さえる所を街で見掛けて
オレに一目惚れしたんだと言う。

「…って言われてもオレ恋人いるから…無理。」
即答で返事をしてやる。
「別に宜しくてよ。今の彼女とは遊びで 続けていけばよろしいわ。」
ニッコリ笑って真面目な顔で言ってる…
一体どんな方程式でそんな答えが出るんだよ…付き合ってられん…
「とにかくオレの事は 諦めて!」
オレの身体にまわした腕を外しながら言った。
「じゃあね!もう来ないでね!」
オレはバイバイと手を振りサッサとその場から立ち去った。
後ろで声がする…
「私くし諦めませんから。」

まったく…春先でも無いのに変わった子がいるもんだ…
ただ…あーゆー子はしつこいんだよなぁ…
オレはそう確信して気分が重くなった…

案の定それから毎日の様にオレの前に現れた…
金持ちのお嬢様らしいけど…暇人だよね…
しかし…流石にオレも付き 合ってるのに嫌気が差してきて切れモードになった。

「あのさ…いい加減にしろよな…これ以上付き纏うと…」

そう言いかけた時不意に彼女がオレに 近づいた。

バ シ ュ !!!

「…なっ…」
衝撃を感じて見下ろすとオレの身体にスタンガンが押し付けられた。
マジかよ…くそっ…油断した… まさかそんな事をするとは予測してなかった…
意識が…薄れて…目の前が真っ暗になった。

「諦めませんって…言いましたわ。あなたは私くしのものですわ…」


気が付くと鎖に繋がれて吊るされてた…
目の前にあの女がジッとオレを見ている…くそっ… ムカつく…

「目が覚めました?本当はこんな事したくなかったんですけど…
あなたが悪いんですわ…私くしの事相手にしてくださらないから…」
「それでコレかよ… ふざけんなっつーの…いいから早くこれ外せ。
今なら怒らないで帰ってやる…」
無駄だと思ったが言ってみた…オレも怒らないなんてウソだけど。
「ダメですわ。今日はあなたが私くしのものになって 下さるまで帰しません。ふふっ。
痛い目に遭いたくなかったら…私くしのものになりたいっておっしゃって。」
自分が何をしてるかなんて全くお構い無しのコイツの 笑顔に無性に腹が立った。
「オレはあんたのものなんか絶対にならない!諦めろ!」
「あら…残念ですわ…それでは私くしに従順になって頂く為にはやはり…
身体に 教え込まないとダメですわね…」
後ろに立っていたいつも車のドアを開けていた男が前に出る。
「どのくらいで言う事聞いて頂けるかしら?…始めなさい。」
女の合図で男は持っていた鞭を振り上げた…


「痛いでしょ?どう?私くしのものになる気になりました?」
そっと頬を撫でられた…
生暖かいものが 背中を伝わる…それ以上に激痛が波の様に襲ってきた…
「…ハァ…だからオレは…あんたのものにはならないって…言ってんだろうが…
こんな事しても無駄だ…」
「いつまでそんな強がり言ってられるかしら…今に後悔しますわよ。」
「するかっ!!ナメんじゃねーよっ!!このブス!!」

─── バ シ ッ 

言った瞬間鞭で打たれた。
「 …ぐっ! 」

─── ビ シ ッ

「…がっ…」

─── バシッ

打たれる度に…身体が飛ばされて鎖で 繋がれた手首が軋む…
もう…何発打たれたんだろう…激痛で意識がかすんできた…くそっ…
でも…キズの痛みなら…耐えられる…ガキの頃と…同じ…
でも…身体に力が入らねー…

「凄い精神力ですわ…まだ頑張りますの?
私くしは愛するあなたをこれ以上キズ付けたくないのですけれど…
ねぇ…言って 下さい。私くしのものになりたいって。」
オレの頬を触りながら言う…
「触んじゃ…ねーよ…しつこいんだよ…絶対…お前のものなんかには…なんねーよ…
オレ…しつこい女…大っ嫌いなんだよ!…あっち行けっ!…ハァ…ブスっ!!」
本当にムカついていた。
「あんまり私くしを怒らせない方がよろしくてよ…
あなたがそんな態度でしたら相手の方に身を引いて頂かなくてはいけなくなりますわよ。
私くしとしてはあなたの口から私くしのものになりたいって言って欲しいん ですの。」

「テメェ…ふざけんな…ぶっ殺すぞ!!」

オレはマジで切れた!こいつ…耀くんに手を出すって…オレを脅しやがった…
そんなオレ見てこの女 トロンとして目になって
「素敵ですわ……やっぱりあなたが欲しい。私くしだけのものにしたい…
お願いです…早く素直になって下さいね。」
「誰がなるかっ!!」
オレはそう叫ぶと打ち付けられる鞭に身構えた…でも…ヤバイな…そろそろ限界…
だけど男の腕が振り上げられても鞭は飛んで来なかった…

「オレも混ぜろよ。」

祐輔の声だ…
目だけで後ろを見ると鞭の先を自分の腕に絡みつかせて引っ張っている…
その鞭にナイフを当てて途中から切り落とした。
「 ! 」
男が怯む。
「誰ですの?」
祐輔が突然現れたから女は驚きまくってる…
「ゆ…う…すけ…?」
オレも驚いた…良く此処が判ったよな…?
「いいざまだな…椎凪。お前 「M」だったんだ。」
こんな時に冗談かよ…痛くて笑えないって…でも答えてやった。
「ち…がう…オレは…「S」…」

「どうして此処が…?どうやって…」
「さあ?オレには詳しい事は分かんねーけど?あんたよりも上の力が動いたって事だろう?
とにかくそいつは返してもらう。そんな奴でもいないと困るんでね。」
真面目な顔で断言した。祐輔…ヒドイ…
「そんな事…許すわけ…!」
「別にやるって言うならやってやるぞ?その代わり覚悟しとけよな。」
途端に祐輔の瞳が ギラリとなった…
「陽子…」
祐輔の後ろから年配の男が一人入って来た。
「…お父様?どうして…?」
どうやらこの女のオヤジらしい…
「陽子…もう止めなさい… 彼を放してあげなさい…さあ…帰るよ…」


「大丈夫か?」
鎖から開放されて祐輔にもたれ掛かった…ホントは倒れそうだった…
あの女は父親に連れられて 引き上げて行った…もの凄く渋々と。
「あー嬉しいな…祐輔が心配…して…くれた…」
「右京んトコに連れて来いって言われてっから…歩けるか?
外に車待た せてあんだけど…」
「んー頑張る…耀くん…待ってるから…」
オレは目を明けるのもかったるくて祐輔にもたれたまま歩き出した。


オレと連絡が取れなく なってしかも帰って来ないオレを心配して
耀くんが祐輔達に相談したらしい。
あー耀くんに心配かけちゃったな…
しかし…相変わらず慎二君と右京君の情報収集 の広さには驚かされる…
ほんと2人共どんなコネ持ってんだよ…ちょっと怖いって…

右京君の屋敷で怪我の治療をしてもらっていると
耀くんが 心配そうに部屋に飛び込んで来た。
「椎凪!!」
「耀くん!!」
胸から背中にかけて包帯を巻かれたオレを見て余計に心配そうな顔になる。
「大丈夫?オレすごく心配したんだよ…でも…良かった…」
「ゴメンネ…心配かけて…」
本当にごめん…オレは心の中でも謝った…
「でも…とんだ災難だったね…」
「え?」
耀くん…オレの怪我の理由…知ってるの?

「だって…潜入捜査でSMショーに出されちゃったんでしょ?」

「 えっ!? 」
ちょっと待て…何で? そんな事に?
「それで…超ド級の「S」の人にやられちゃったんでしょ…だから…鞭の跡が…さ…」
「……ちょ…」
え?何?その設定??どう言う事だよ?…
「でも良かったよ。キケンな事件に巻き込まれたのかと思っちゃった。」
「…………ははっ…」
オレはもう笑うしかない…きっと大分顔は引き攣ってたと思うけど…

耀くんが祐輔と部屋を出て行った後に慎二君に問い質した。
「仕方ないでしょ?耀君に心配かけさせない為には…
まさか椎凪さんを手に入れるのに拉致されたなんて 言える訳無いでしょう?
しかも言う事聞かせる為に鞭で打たれたなんて…」
慎二君が呟く様にオレに説明した。
「そーだけど…なんか…SMショーって…ちょっと…」
「鞭の跡ですよ?何て説明するんです?女王様の方が良かったですか?」
慎二君が呆れた様に横目でオレを見つめてそう言った。
「えっ!?いやっ…それはもっと イヤだ…」
オレは仕方なく納得するしかなかった…
くそ…それもこれもあの女のせいだっ!!


2日後とりあえず動ける様になったオレは右京君の屋敷を出た。
右京君の所じゃ落ち着いて耀くんと2人っきりにもなれない…


「…っつ…!」
背中の傷が痛んで思わず声が漏れる。
「やっぱり無理しない方がいいよ… やっと動ける様になったばっかりなのにさ…」
耀くんが心配そうな顔でオレを見上げてる。
「いいの…もう2日も耀くん抱いてない…」
オレはちょっと痩せ我慢状態… でも無理してでも耀くんを抱きたかった。
「でも…なんでオレの事縛ったの?…」
耀くんが納得出来ないと言う様にオレを見る。
「してる時傷に触らない様に。」
「だから…無理しなくても…」
しまった…墓穴掘ったか?
「…いいの!したいの!オレは耀くんが好きなの!」
「え?」
そう言って耀くんを抱きしめて… 耀くんの胸に顔をうずめた…
なんだか…あれからずっと…耀くんが恋しくて恋しくて…どうしたんだろ…

「耀くん…好き…好きだよ…」
背中のキズが痛んだ…でも …気にせず…耀くんを攻め続けた…
「オレは…耀くんだけが好き…」
仰け反る耀くんの耳元にそう囁いた…


眠れずそっとベッドを抜け出してリビングの 窓から外を眺めていた…

「痛むの?」
窓際に立って外を見つめている椎凪の後ろから声を掛けた。
目が覚めたらベッドに椎凪がいなくて探しに来てしまった…
声を掛けて気が付いた…あ…あっちの椎凪だ…
「いや…」
すごく静かな声…
「何か…気になるの?」
「何でそう思う?」
「だって…あっちの椎凪になってる…」
「ああ…ホントだ…」

オレに言われて気が付いたらしい…
椎凪がオレの肩に手をかける…
「んー…」
そう言いながらオレを抱きしめた…

「オレの中には耀くんしか… はいれないんだ…」
「え?」
「他の誰もはいれない…入れたりなんかしない…」
「椎凪?」
椎凪…どうしたんだろう…この前から変だ…
「やっぱりショックだったんだね…SMショー…椎凪…可愛そう…」
そう言って耀くんが泣きそうな顔をしてオレの頬を撫でてくれた…
「うっ!?えっ?いや… その…」
そう言う訳じゃ無いんだけど…
その誤解を解くわけにもいかず…まいった…
「椎凪…背中…見せて…」
「? なに?」
言われた通り背中を 向けると背中に柔らかくて…あったかい感触が触れる…
「耀くん…?」
振り向くと耀くんが照れ臭そうに笑って
「椎凪のキズが早く治ります様に…」
って…オレの背中にそっとキスしてくれた…

ああ…耀くんの唇が…暖かくて…柔らかくって…気持ちいい…
オレ…耀くんのキスって…弱いんだった…

耀くんがオレの背中の傷一つ一つにキスをしてくれてる…
「早く治りますように…」
「…あ…」
オレは感じまくって…キスの度に身体が震える…
しかも…最後に舐めてくれてるから…余計…
「え?痛いの?止めた方がいい?」
耀くんがそんなオレに気が付いて後ろから覗き込んだ。
「違うよ…やめないで…」
荒い息を隠してお願いした…

もっと…もっとオレを感じさせて…耀くん…


オレが右京君の所から帰った次の日右京君はあの女の家に出かけて行ったらしい…

「女性が楽しむ遊びでは無いね…娘に対する躾がなってないんじゃないのかい?」
椅子に座り両手を組んで静かに話す。
「甘やかすにも程があるよ。」
「は…お恥ずかしい限りです…」
家主である海野親子は椅子にも座らず右京の前に2人並んで立っている。
座れるわけがない。
「ねえ…海野…君のあの病院が あそこまで大きくなれたのは誰のお陰だい?
君があの病院の院長になれたのも誰のお陰?
忘れたわけでは無いだろう?君と君の父上と…いや…もっとさかのぼっても…
君達が草g家に…この僕にたてつくなんて…ねえ?海野?」
「はい…申し訳ありません…」
あまりの緊張に汗を拭く事も忘れている。
海野は何代も続いている 地元でも大きな総合病院の医院長だ。
この病院を設立する時の初代の医院長婦人が草g家の血縁関係者で
その時本家である右京の家には色々と援助してもらっていた。
今も色々な形で草g家には世話になっている。

「お父様!なぜそんなに謝るのですか?
今まで私くしのする事に口出しなどしなかったのにっ!!」
父親のあまりの卑屈さに我慢ならないと陽子がわめき出した。
「いいから…もう二度と彼には係わらないと右京様にお約束しなさい。」
「なぜです?私くしはあの方が欲しいんです!!」

「彼は君のものではないからだよ。」

陽子の興奮する声を制するような静かで冷ややかな言葉だった…
「もう誰のものか決まっている。そしてそれは君ではない!
君に手を出されるのは迷惑なんだよ。 僕が来たと言う意味が判っていないようだね。」
右京の瞳が変わり始める…それに海野が気付き慌て出した。
「も…申し訳御座いません…右京様!
私からきつく 申し付けますので…どうか…お許しを…」
「お父様っ!!なぜですの?」
「もういい。どけ!海野!」
静かに右京が席を立つ…
「あっ!右京様… お待ち下さい…」
瞳の色が…瞳自体が変わり始める…
妖しくて禍々しい瞳の色…
「お前に任せても無駄な事はこの娘を見れば判る。
この娘はお前の言う事など 聞きはしない…」
そして陽子の瞳を見つめ『邪眼』の力を解放した。

「 ビ ク ン !」

陽子の身体が一瞬硬直してその場に倒れる。
父親の海野が駆け付けて支えると名前を呼び続けた。
「陽子!陽子!!」
その様子を冷ややかな瞳で右京は見下ろしている…
「最近の記憶を消した。彼の事も この子の記憶から消した。
だけどもう二度と僕の手を煩わす事はするな。
どんな小さな事でも僕の耳に入ったら次は容赦しない。
…次は無いよ海野…わかったね。」
「………」
草g家に…右京にたて突くなど海野には恐れ多い事…
海野は無言で自分を見下ろす右京を見上げていた…


それから数日後の夕方右京君がオレを呼んでいると 言うので
慎二君の所に出かけた…もちろん耀くんには内緒だ。

「まったく…あそこの父親は娘の躾がなっていないね。」

慎二君が淹れた紅茶を飲みながら しみじみ右京くんが言った。
そーだろうよ…自分は耀くんが絶対反抗しない様に完璧に教育したんだもんなぁ…
オレは紅茶を飲みながら上目使いで右京君を眺めて 心の中でそう思ってた。
「何だい?何か僕に言いたい事があるのかい?」
オレの視線に気が付いたのかムッとしてオレに問いかける。
「…別に…」
言っても 無駄なのは分かってる…
「彼女外国に行くんですって。当分帰って来ないらしいですよ。」
「へー…」
「しかし君なんかの何処が良かったのか判りかねるよ。 耀も君のどこがいいんだか…」
いつもの如く右京君がブツブツと文句を言い出した。
オレと耀くんの事となるとイチイチつっ掛かってくる。
そんなにオレが気に 入らないのかよっ!!
って言っても耀くんはオレのもんだけどね!ざまぁみろっ!!
「そりゃ悪かったですね!別に頼んでないですけどねっ!」
オレは 不貞腐れながらも文句を言った。

「耀の為に決まっているだろう!
どんな小さな事でも耀が不安になる事は僕が許さない!
耀の身に危険が起きる事ならなおさら だ!!」

右京君が真っ直ぐオレを睨んでそう言った。
「え…?」
右京君の言葉にキョトンとしたオレを見て…
「なんだい?君はまたそんな…?」
「えっ?あ…いや…」
オレはビックリしたんだ…右京君…オレと同じ…同じ考えなんだ…


右京君を慎二君と見送って思わず思い出し笑いをした。
「どうかしました?思い出し笑いですか?」
「いや…さっき右京君がさ…言ってたんだけど…
耀くんが不安になる事は許さないって言ってただろ?あれオレも 同じなんだ…
だからビックリしちゃて…オレと同じ考えなんだって…右京君…」

「右京さんと椎凪さんが似てるなんて思いたくありませんけどね…」
「あ!何それ?なんか傷つくなぁ…」
慎二君はいつでも右京君の肩を持つ。
「でも…だから耀君は右京さんの事…受け入れたんですかね…」
そう言って 優しく笑った。

オレは少しだけ…右京君の事が理解出来た様な気がした…
オレに対する態度はまだまだだけど…
右京君に耀くんの事を頼んだのは 良かった事なんじゃないかと…
ちょっぴりだけどそう思った。