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由貴が急に大きなため息をついて自分のバックから携帯を取り出すと何処かに掛け始めた。


「……あ!お母さん?」

え?満知子さん?

「もう無理………だって仕方ないでしょ?
惇哉さんがもの凄い誤解してイジケちゃってるんですもん。」

「はあ???」

言いながら由貴のその呆れた視線が痛い……一体何の事だ????

「もう覚悟決めてよ。惇哉さんには私からちゃんと話すから…
大丈夫!嫌われたりなんかしないから…うん…また連絡するわね…じゃあね。」

「………え?」

「今からちゃんと話すから…でもその前にコーヒー淹れさせて!今無性に飲みたいから。」
「あ…ああ…」
「大人しくソファに座って待ってて!!!」
「……はい…」

オレは言われた通り…由貴がコーヒーを淹れて戻って来るまで大人しくソファに座って待ってた。

とにかくオレは今どんな状況なのか…まったくわからない???



「はい。」

「ありがと…」

渡されたコーヒーを素直に受け取った。


「まず…何処から話そうかしら…」

由貴がオレの隣に座る。
何だか…隣に座ってくれるんだ…なんて思ってホッとしてる自分がいた。

「この前お母さんに呼ばれて泊りがけで出掛けたでしょ?」
「ああ…」

「あの時…お母さんが会いたいからって言うのは本当だったんだけど…
それは私に会いたかったからじゃなくて…私に会わせたい人がいたからなの。」

「え?」

「化粧品関係の会社の社長さんでね…お母さんとは仕事絡みで知り合ったんですって。」
「はあ…」
「で…その…相手の人が結婚を前提にお付き合いしたいからって…1度私に会っておきたいって…」

「なっ!由貴と結婚前提にかっ!!??」

「違うわよっ!!お母さんとよっ!!!」

「満知子さんと!!??」

それも驚いた。

「相手の人は奥さんを大分前に病気で亡くされてて…ずっと男手1人で息子さんを
育ててたんだけどもう息子さんも成人して結婚もしたからそろそろ自分の事考えようって…」

「息子?まさか…」
「そうよ。惇哉さんが誤解してた相手。」
「………」
「息子さんこっちで生活しててこの前の時どうしても会えなかったから…
こっちで会おうって事になってて…この前初めて会ったの。
もうお母さんもいないし…若林さんもいなかったから2人共何だか緊張しちゃって…
私もそう言うのあんまり得意な方じゃないし…まあ相手の息子さんが年上で
気を使ってくれたから何とかお互い話せたんだけど…」
「…………じゃ…じゃあ今日は?」
「今日は急に若林さんもお母さんもこっちに来れるからって…ホテルの場所がわらないからって
この前の喫茶店で待ち合わせして一緒に行っただけだけど?
バラバラで行ってお互い時間がずれたら面倒くさいからって…」
「だって…フロントで鍵受け取ってたじゃん。」

「え?そんな所まで見てたの?」

「……いいだろ…今はそんな事…」

ああ…バツが悪いったらありゃしない……

「あれはあたし達の方が早く着きすぎちゃって…
色々話もあったから先に部屋で待ってようって。
あ!部屋は若林さんが今夜泊まる為に取っておいた部屋で…
あの後すぐに若林さんが来て…お母さんも来て…
4人で色々話しながら食事してたら遅くなちゃって…」

何だ…あの後満知子さんも来たのか…

「で?この婚姻届は?」

「ああ…それは…良く見て!生年月日…」
「あ!」

さっきはムカついてて名前しか見なかったけど…
良く見れば生年月日が……この生まれなら今…56歳……

「それ若林さんがお母さんに宛てた婚姻届なの。」
「は?」
「若林さんとってもその気で…すぐにでも結婚したいって…」
「でもこれ…満知子さんの名前無いぞ?」
「そうなのお母さんは何だかちょっと考えちゃってて…すぐには結婚は考えられないって。」
「何で?若林って人の事嫌いなわけ?」
「違うわよ。お母さんも若林さんの事悪くは思ってないんだけど…」
「けど?」

「まったく…何でこんな男に気兼ねするのかしらね!」

「え?」

由貴がオレを呆れた眼差しで見る…

「お母さんが惇哉さんに申し訳ないって…」
「申し訳ない?」

「だって 『 楠 惇哉 』 の熱烈なファンだって自負してたのに結婚なんて出来ないって…」

「え?」

「惇哉さんを裏切るみたいで結婚なんて考えられないんですって。」
「…………」
「この事が惇哉さんに知られたら惇哉さんに嫌われるからって…
結婚の事は絶対に惇哉さんに内緒にしてくれって頼まれて…」
「だから…オレには内緒で?」

コクン……と由貴が頷いた。

「…この…婚姻届けは?」

「若林さんがお母さんが自分を受け入れてくれる気になったら書いて欲しいって渡して…
お母さんが困って私に預かっててくれって…一番困ってるのは私よ。
お母さんの事も惇哉さんの事も気にしなくちゃいけなくて…」

「由貴…」

「何か質問は?」

「…………」

「惇哉さん…?」


惇哉さんが俯いて私の腰に腕を廻して抱きしめた…

俯いた頭を私の腿に軽く押し付ける…


「由貴…オレ…」
「そんなに私演技下手だった?」
「演技なんて…してたの?」
「一応…」
「下手過ぎて逆に騙された…」

由貴の手がオレの頭にそっと触れた…

「そう…もしかしてすごく怒った?」
「……ノーコメント…」

聞かなくってわかってるくせに…

「やっぱり由貴は 『 S 』 だ。」

「何よそれ…」

「オレをイジメて喜んでる。」
「イジメてなんていないし喜んでもいないわよ。」
「由貴…」
「ん?」

「もう3日もキスしてないって…知ってた?」

「……しなかったのは惇哉さんでしょ?やっぱり怒ってたんじゃない。」

「ほら…オレを責める…」
「責めてなんかな……」

急に惇哉さんが顔を上げた。

腰に腕を廻したまま…
だから当たり前だけど私を見上げた惇哉さんと真っ正面で視線が合った…

「なんて顔してるの?」

「どんな顔してる?オレ…」

「悪戯がバレて怒られるのを覚悟してる顔。」

「悪戯なんてしてないけど…」
「私に何か悪い事したなぁーって思ってるんじゃないの?」
「…………」

「さて…お風呂入ろうっと!明日も朝早いし…撮影ももう少しだものね。」

「由貴…」
「ん?」

「オレ待ってるんだけど…」

「何を?」

「由貴が怒ってないって言う 『 お許しのキス 』 !」

「は!?」


あ…由貴の顔が一気に赤くなった…

でも3日ぶりのキスはやっぱり由貴からだろう?


「な…何言い出すのかと思えば…ふざけないで!はい!どいて!」
「由貴…」

オレは由貴の腰に抱きついたままおねだりの顔と声を出した。

「そ…そんな顔と…声出したってダメですから!」
「由貴!」
「しません!」
「明日の仕事に差し支えるけど?」
「仕事にプライベートは持ち込まないんでしょ!はい…どいて!」
「じゃあオレの事許して無いんじゃん。」
「別に怒ってないし…」
「いや!怒ってる!怒ってた!」
「だから怒ってないてば…」
「だからその証拠ちょうだい ♪ 」

「……………」

この男はぁ……

「痛っつ!!」

両耳を限界まで引っ張ってやった。
意外に伸びてびっくり!

「由貴!」

惇哉さんが自分の両方の耳を押さえて起き上がる。

「やっとどいてくれた。」
「ヒドイぞ!由貴!」

あら…涙目…

「私は怒ってないんだし惇哉さんは誤解が解けたんだし…
もうこの事は解決でしょ。いいじゃないそれで!」

「良くない!」

「もうしつこい!」

お風呂に入る準備をする私の後をくっついてくる!浴室の前まで。

「何よ!中にまで入るつもり?」

「由貴が証拠くれるまで!」

「 ……… 」



バ タ ン ! …と目の前で浴室のドアが閉まった。



それでもオレは由貴の傍を離れられなくて…

         浴室のドアの前でずっと立っていた…