142





「おはよう由貴ちゃん。」

「あ…岡本さん…おはようございます。」

「楠君もおはよう。」

「おはようございます…」

オレよりも先にマネージャーに挨拶ですか?まあ昔馴染みらしいからいいですけど…

「これこの前良いお店見付けてね…由貴ちゃん柑橘系のゼリー好きだったよね?」
「え?覚えててくれたんですか?」

へえー…そうなんですか。

オレの目の前で岡本さんの手から由貴の手に紙袋が渡される。

「後で食べて。」
「はい。ごちそうさまです。」
「じゃあね。」

歩いて行く岡本さんの後ろ姿を由貴がずっと見送ってる。

「…………」
「はっ!!」

惇哉さんがまた何とも言えない眼差しで私を見てる…

「あ…えっと……帰ったら一緒に食べましょうね…」
「いいけど…オレの分あるの?」
「あ…あるに決まってるでしょ!!」
「そう…」

「惇哉さん…」

「なに?」

「……ううん…」

嫌な沈黙…

オレだってわかってる…
2人がただの知り合いで…久しぶりに会えたから懐かしくて…
昔の感覚で話してるだけだって…

でも…オレの知らない由貴を知ってて…由貴がオレの知らない顔で話してるのが…

こんなにも気分が悪いのは自分でもどうしようもなくて…

演技に持ち込まない様にするので精一杯…

このオレが… 『 楠 惇哉 』 がだ…

由貴……わかってる?




「はあ〜〜〜」

「何だよ!溜息ばっかで欝陶しい野郎だな!」

「うるさいな〜」

どうにもならないこのむしゃくしゃした気持ちを少しでも晴らしたくて
いつもの如くレンジを呼び出した。

「何だよ撮影上手くいってないのか?」
「別に…順調だよ…」
「だよな…お前が撮影で悩むなんてありえねぇしな…またメガネちゃんか?」
「………」
「お前はメガネちゃんにすぐ振り回されんな〜」

「だって由貴はもうオレの一部だから…」

「は?」

「由貴のいない生活なんて考えられない…」

「何だよ…いなくなりそうなのか?」
「まさか…たださ…」
「ただ?」

「最近由貴オレの事構ってくれないんだよなー」

バ チ ン っっ !!

「イデッ!!」

思い切り頭を叩かれた!

「イッテーな!!」

「アホかっっ!大の大人の男が何言ってやがるっっ!!」

「お前に言ったのが間違いだったよ!
大体レンジって彼女にそんな気持ちになった事なんて無いだろ?」

「なっ!」

レンジが時々付き合ってた相手がいたのは知ってた。
でもオレから見たらレンジには合ってない相手だといつも思ってた…

案の定長続きしない…

オレが昔1人の相手と長続きしなかったのは最初から長続きさせよう
なんて思ってなかったから…でもレンジは違う…

「お前見かけと違って純情だからな。」
「はあ?」
「何だかんだ理想が高いんじゃね?」
「……何でオレの話しになるんだよ!お前の愚痴の話だろうがっっ!」
「お前理想の相手が現れたらベタボレになるな…絶対そうだ!」
「勝手に言ってろ!酒追加するぞ飲むだろ?」
「ああ…」


オレは残り少ない酒の入ったグラスを傾けてボソリと呟く。

「なまじ下心が無い分性質が悪いんだよな…」

「下心が無いならいいじゃねーか…そういやあの人真面目そうだもんな。」
「下心あるならそれなりに由貴にも言えるし相手にも文句言えるけど…
純粋に昔馴染みってだけで話し掛けて来るから…何も言えない…」
「なら何の文句があるんだよ?」

「由貴…岡本さんのファンなんだ…レンジだってわかるだろ?
ファンの子のあのウルウルした瞳…由貴がオレの目の前でオレ以外の男を
あの瞳で見つめるんだぞ…わかってても面白くない!」

「お前…」

「レンジも彼女が出来ればわかるよ…オレの気持ち…」

「そうか?……そんなもんかね…」

「何で由貴にマネージャーやらせると何だかんだと問題が起きるんだろ…」

オレは心底そう思った…


それから更に数時間…オレはレンジ相手に愚痴を零してた。



「ちょっと惇哉さん!大丈夫?」

レンジさんと飲んでくるなんて言って出掛けて行ったけど…
こんなにフラフラになるまで飲んでくるなんて…珍しい…

「惇哉さんいくら明日撮影が午後だからって飲み過ぎよ!」
「………う〜〜」

廊下でぐったりうな垂れてる。

「歩ける?」

仕方なくこのまま寝室に連れて行くことにした。

「もっ…しっかり…歩いてよ…」
「………」

肩を貸して歩かせるけど私よりも背の高いまともに歩けない成人男性を
連れて行くには大分体力が必要で…寝室にたどり着いた時には肩で息をしてた。

「……んぐっ………」

何も気を使わずベッドに寝かせたら結構な勢いだったらしく惇哉さんが呻き声が洩れた。

「…はぁ……はぁ…悪いけど…重かった……はあ〜〜〜」
「うぅ〜〜」
「ほら惇哉さん!着替えて!」
「ン〜〜」

シャツのボタンを何個か外すと惇哉さんの手が伸びて来て両方の手首を掴まれた。

「惇哉さん離して…」

「……由貴……」

そのまま引っ張られて惇哉さんの胸の上に倒れ込んだ。

「惇哉さん!飲み過ぎよ!酔っ払ってるんでしょ!」

「酔ってるよ〜でも由貴のせいだから…責任取って…」

「何で私のせいなの!」

「由貴がオレを構ってくれないから!いつもオレは蚊帳の外だ…」

「そんな事……あっ!」

酔ってるクセに素早く惇哉さんと私の位置が入れ替わる。

「由貴……」
「やっ…惇哉さん酔ってる…」
「酔ってるよ〜でも由貴の事を抱くには問題ない…」
「あ……だめっ…!!」

パジャマのズボンに掛けた手を由貴がぎゅっと握って止める。

「なんで?」
「だって……」

「子供…出来ちゃうかもしれないから?」

「惇哉さん……」

「今日危ない日だもんな…」
「も…どうして知ってるのよ…」
「なんとなく…ね…由貴見てるとなんとなくわかる…
だから今日オレが飲みに行ってホッとしたんだろ?そのまま寝てくれるかもって…」

「…………」

「別に出来ない様にするのは簡単だけどね……」

「惇哉さん…」

惇哉さんが私から離れてベッドの上に座る…

「はあ〜 ………そんなに子供イヤ?」
「え?」
「確かに女の人にとってはかなりの負担になるけどさ…自由も利かなくなるし…
体形だって崩れるかもしれないし…まあ無理強いはしないけど…
今まで運よく出来なかったんだし…」
「運よくって何よ…」
「だって由貴避けてたじゃん…危ない日……」
「だから何でその日がわかるのよ〜〜」

恥ずかしいわね…

「愛の力!」
「なにそれ?」

「…………」

惇哉さんが片膝を立ててその上に腕を乗せて自分の顔を手の平で覆った…

「はあ〜……由貴…」
「なに?」
「………いいや……わかった…しばらく子供は諦める…」
「…………」
「出来ない様にちゃんとするから……もう心配しなくていいよ…」
「惇哉さん…」
「シャワー浴びてくる…先に寝てていいよ…今日はもう何もしないから…安心して眠って…」
「惇哉さん!」

フラフラと惇哉さんが寝室から出て行った…

「…………」

別に…欲しくないわけじゃない……私は…ただ……


大分経って惇哉さんがベッドに入って来た…

でもお互い背中を向けて眠ったフリをしてる…

「…………惇哉さん…」
「……なに…」

由貴がオレに背を向けたまま話し掛けて来た。

「……別に…子供が出来るのが嫌だからじゃないの…」
「…………」

「……私……もう少し惇哉さんと2人でいたいなぁ…って思ってるだけで…」

「え!?」

オレは顔だけ由貴の方に向ける…由貴はまだオレに背中を向けてた。

「だって…2人でいれる時間なんて本当にあっという間だと思うの…
子供が出来たらきっと子供に手が掛かるだろうし…
惇哉さんの相手だって今みたいに出来ないと思うし…それでもいいの?」

言いながら由貴もオレの方を向いた。

「由貴……」
「だめ?それって理由にならない?」

「オレと2人の時間…過ごしたいって事?」

「そう…言ってるつもりだけど……」

「…………くすっ…」

「何で笑うのよ…」

「だって……由貴が可愛いこと言ってくれるから……」

惇哉さんの腕が伸びて私を引き寄せて抱きしめてくれた…

「普通でしょ……」
「だったらそう言ってくれればいいのに…オレてっきり…」
「てっきり?」
「オレとの子供は嫌なのかと思ってた……」
「そんな事…あるわけないでしょ!」
「そう?」
「そうよ!もう少ししたら…きっと…」
「そうだな……もう少し…由貴と2人でイチャイチャしてるのもいいかもな…」
「イチャイチャは別にしなくても構わないけど…」
「またまた〜心にも無い事を…ちゅっ ♪ 」

惇哉さんが頬に軽く触れるだけのキスをしてくれる…何度も何度も…

「でも子供が出来たら…生まれるまで…出来ないわよ?我慢できるの?」

なんて変な心配を由貴がする。

「ああ!軽くなら妊娠しててもOKなんだってさ ♪ 」

惇哉さんがニコニコの顔でそんな事を言う。

「は?」
「まあ妊婦さんの体調次第だけどね。」
「惇哉さん…」
「ん?」
「どこからそんな情報を仕入れてくるの?」
「え?ああ…前七瀬さんと飲んだ時そんな話になちゃって…柄本がコッソリ教えてくれた。」
「………もう…変な情報ばっかり聞いてくるんだから…」

「じゃあ気を付けるから今からいい?」

「え?」

「愛してるよ……由貴……」

「あ……」


抱きしめてた由貴の身体の上に覆い被さってさっきと同じ様に

由貴のパジャマのズボンに手を掛けたけど…

今度は由貴の手はオレの手を止めようとはしなかった…


岡本さんに対する複雑な想いはまだオレの中で消化されてはいないけど…

今夜の由貴の言葉で少しは楽になった自分がいる事は確かで……

ホント由貴は不意打ちでオレをいつも驚かせてくれる……