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「おはようございま〜す。今日から宜しくお願いしますね〜 ♪ 」

昼からやって来た今度の相手役の 『 紅林 藍 (kurebayasi ai) 』 が
オレ達とは1週間遅れで撮影に加わった。

確か23歳で映画はこれが初めてだったか…

今回映画の内容は事件と石原の過去が中心で彼女の役はそんな石原の過去を知ってる女…

腐れ縁みたいな女で最後は事件に巻き込まれて命を落とすけど
その前に前回程じゃないがちょっとしたラブシーンがある…

「楠さ〜ん今回は特別宜しくお願いしますね〜」

『………』

何が特別宜しくお願いしますなんだ?

「今からあのシーンの事考えるとドキドキしちゃいます ♪ 」

『そう?』

ああ…そう言う事…

「やっぱり慣れてると違いますね〜上手くリードしてくれると助かります。」
『…………』
「楠さんて無口な方でしたっけ?」

「彼今役に入ってるから…」

『!』

「あら岡本さん…お久しぶり。お元気でした?」
「……久しぶり…」
『知ってるの?』
「え?ああ…前共演した事があって……ドンくさいおじさん!」
『!』

「相変わらず手厳しいな〜藍ちゃんは…はは…」

『…………』

笑えるんだ…

「惇哉さん?」

由貴が控え室からいつも持って来てる由貴の淹れたコーヒーを持って現れた。

「え?どうかしたの?」
『いや…』
「あの…紅林さんですよね…これから宜しくお願いします。」
「あなた…楠さんのマネージャー?」
「はい。宜しくお願いします。」

名前は周りの人に気を使わせちゃうから言わない事にした…

惇哉さんにマネージャーがフルネームで挨拶なんてしなくていいって言われて…

だって…挨拶だからちゃんとしなきゃなんて思ってて…


「あ!由貴ちゃんのコーヒー…僕も貰っていい?」
「あ!はいどうぞ。そのつもりで多めに作って持って来ましたから。」
「ありがとう。由貴ちゃんの淹れるコーヒーは美味しいからな…」
「由貴ちゃん?」
「あ…以前からの知り合いで…」
「へえ……じゃあ仲がよろしいのかしら?」
「え?あ…そう言うわけじゃ…」
「じゃああたしは楠さんと仲良くしよっと ♪ 」
『は?』

言うのと同時に彼女がオレの腕に自分の腕を絡ませて引っ付いた。

『 !! 』

「 !! 」

「あらら…」

「楠さん宜しくお願します ♪ ニッ!」

『 !! 』

そう言ってオレの腕にしがみ付いたまま確かに彼女は由貴に向かって

不敵に笑顔を向けた!

「…………岡本さん…コーヒー淹れますね……」

「え?あ…ああ…ありがとう…」
「惇哉さんはお忙しそうだから後でゆっくりと紅林さんとお飲みになれば良いですよね。」
『は?』
「楠さん!あたし冷たい方が飲みたいです!行きましょう ♪ 」
『え?…あ…ちょっと…』
オレはグイグイ引っ張られて後ろ向きのまま歩き出す。
「岡本さん確かミルクだけ入れるんでしたよね?あっちで座って飲みましょうか…」

『…………』

由貴……




『…で?何飲むの?』

「…………」
『オイ!』
「えっ!?あ…えっと……あっ!お金…バックマネージャーが持ったままだ…」
そう言ってオレを見る。
『オレだってこれ衣裳だからお金なんて持ってない。由貴のコーヒー飲むつもりだったし…』
「あ…すみません…」
『?』

何だか…さっきとは随分態度が違う?なんだ?

『オレ戻ってコーヒー飲みたいんだけど…』
「はい……」
『なに?どうかした?』
「え?あ…いえ……楠さんと2人っきりなんて緊張しちゃって…」
『…………』

何だか違和感が漂う…でもオレには何がなんだかわからなくて…

まあいいか…


「私のコーヒーなんかでいいの?」
『由貴のコーヒーが飲みたいんだけど…』
「…………」
『ちょっと来て。』
「…………」

機嫌の悪そうな由貴を皆のいる所から連れ出した。

「はあ〜〜〜機嫌直してよ。あれはオレのせいじゃないしそんなに
目くじら立てるほどの事じゃ無いだろ?すぐに戻って来たんだし…」
「飲み物代があったら2人で飲むつもりだったんでしょ!」
「オレは戻って由貴のコーヒー飲むつもりだったよ。」
「………うそ…」
「本当。オレが仕事中に由貴のコーヒー飲むの楽しみにしてるって知ってるだろ?」
「…………惇哉さん彼女の事知ってるの?」
「名前と顔くらいはね…でも一緒の仕事は初めてだよ。」
「じゃあ…また惇哉さんのファンって事なのかしら…」
「ん〜〜それとちょっと違うみたいなんだよな…」
「え?じゃあ本気って事?」
「は?」
「だって……」
「だって?」
「私に向かって……挑戦するみたいに笑ったもの…彼女…」
「 !!! 」

由貴も気付いてたのか…そりゃそうだよな…面と向かってだったもんな…

「気にするなよ…オレは相手にするつもりないしオレ達が結婚してるってわかれば
大人しくなるだろ。」
「そうかしら……」
「由貴……」

一応周りを確かめるとオレ達の他に誰もいない…

「 ちゅっ… 」

「……んっ…」

「余計な心配なんてする事無いから……オレは由貴を裏切ったりしないから…」

ぎゅっと抱きしめて耳元に囁いた…

「………うん…」

由貴もオレの胸に身体を預けてくれて目を瞑ってる…

「大丈夫……大丈夫だから…由貴…」

そんな言葉をずっと由貴に囁いてた…


「あの2人新婚なんだから…チョッカイ出すのやめなさい。」

オレ達が離れた後残された2人はそんな会話をしてたらしい。

「そう…結婚してるの?何夫婦で仕事してるんだ?」
「急きょで臨時らしい…元のマネージャーが事故で入院したんだって…」
「そう……でも…別に親しくなるのは構わないんじゃない?浮気してるわけじゃないんだから!」
「藍ちゃん……」
「お説教はもうたくさんよ!岡本さん!あなただってあのマネージャーと仲良さそうじゃない!
人の事言えた義理じゃ無いでしょ?」
「僕と彼女は昔馴染みなだけだよ…お互い昔ご近所だったんだ…」
「何年前の話よ!」
「え?んー15年くらい?」
「良くそんな昔の顔を覚えてたわよね〜彼女だって子供だったでしょ?」
「子供の頃の面影が残っててね…思い出したらわかったんだ。」
「どうせ可愛かったから覚えてたんじゃないの?」
「え?何でわかるの?」

「 !!! …あたしあんたのそう言う所が大っ嫌い!! 」

「藍ちゃん…」

「紅林さん!いくらなんでも先輩に向かってそれって失礼だろ?謝りな。」
「惇哉さん…」
「楠君…」
「………」
「いいんだ…楠君…彼女とはいつもこうだから。」

そう言って岡本さんがニッコリと笑うから…

「……そうですか?岡本さんがそれでかまわないならいいですけど…」

「ありがとう。楠君…」

「………」

どうもこの2人の関係がイマイチ良くわからなかったけど
オレの感知する所じゃないしオレには由貴の方が心配だった…

由貴は本当に彼女の事…気にしないでいてくれるのか?



それからは皆がそれぞれのシーンの撮影で顔を合わせる回数も減った。

ただラストの方ではまた3人で絡むシーンもあったし
オレと彼女にはラブシーンも控えてる…

あれから彼女はと言うと至って普通で他の出演者とも上手く付き合ってるし
スタッフへの態度も悪くない…

あれは…何だったんだ?

「惇哉さん…」
「……え?」
「そんなに彼女の事が気になる?」
「え?!な…何で?」
「だってさっきからずっと紅林さんの事目で追ってるわよ。」
「え!?ま…まさか!」
「そうかしら…やっぱり気になるんじゃないの?」
「由貴!冗談でもそんな事言うなよ…」
「………だって…」
「由貴…」

オレは由貴の名前を呼んで手を差し伸べる…

由貴がその手にためらいながら自分の手を乗せる…

オレはその手をぎゅっと握り返した…


別々な撮影で3人一緒になる事は無かったけど2人でと言うのは何度かあった。

撮影も順調に進み全体の半分と言った所だ…



「お久しぶり由貴ちゃん。」
「あ…岡本さん…」
「お久しぶりなんて言うほど間空いた訳じゃないでしょ…
そんなに岡本さんは人妻に会いたいわけ?」

先にスタジオ入りしてた彼女が開口一番にそんなイヤミを言う…

珍しく3人での撮影だ。


「久しぶり…藍ちゃん。」
「取って付けた様な挨拶で…」
「拗ねない拗ねない…」
「拗ねるわけ無いでしょ!フン!いつも子ども扱いするんだから!」
「そんな事無いよ。」
「あるわよ!」

「…………」

「楠さん ♪ 今日は宜しくお願いします。」
「え?…ああ…」

今日はこの後彼女とのキスシーンがある…オレからでは無くて彼女が一方的にする…

石原は彼女の事なんて眼中に無い…ただ…人間の女と言うだけの事…

オレにしたって同じ様なもんだ…彼女はただ女優で仕事上の事だ…

特に石原は感情を入れなくて済むから余計仕事と割り切れる。

ただこんな時だけは由貴の事が気になる…
仕事とわかって割り切る努力はしてくれてるみたいだけど…

今日は岡本さんが由貴の傍に一緒に立ってる…

いい気分じゃないなら見なくてもいいって言ったのに…
前回の時といい由貴はちゃんと見てるって言って譲らなかった。



「じゃテスト行きま〜す!」


その後彼女の腕が惇哉さんの肩に廻されて彼女の顔が惇哉さんの顔に近付く…

惇哉さん演じる 「 石原 」 は微動だにせず彼女の濃厚で淫らなキスを受け入れる…


今までテレビ越に見てた事をこんなにも目の前で見るのを覚悟はしてたけど…
やっぱり胸がざわめく…

でもこれが惇哉さんの仕事なのよね…演じるのが惇哉さんの仕事……

ほんのちょっとだけど…
惇哉さんの仕事として割り切ると言う意味が何となくわかる気がする…


「ハイ!カット!」

その後チェックが入ってしばらくの間スタジオ内がザワザワざわめいてる…

「由貴ちゃん…大丈夫?」
「え?あ…はい…大丈夫です…」

心配そうな顔で覗き込まれた。

「そう?ちょっと顔色悪いみたいだから…」
「本当大丈夫ですから…」
「色々割り切らなきゃないいけないから大変だろ?特に楠君女性との絡み多そうだし…」
「そうですね…」
「俳優同志だって中々気持ちの整理つかない時もあるから…
由貴ちゃんの立場だときっともっと複雑だろうね…」
「………」
「だから今はマネージャーかもしれないけどあんまり無理しなくてもいいんじゃないかな?」
「平気ですよ…ありがとうございます…心配して頂いて…」
「でも本当に顔色悪いよ…少し外で休んだ方いい…」
「………はい…」

そんなに気にしてるつもりは無かったのに…
ちょっと気分が悪くなったのは事実で…私は外の空気を吸いに出る事にした。

「あ…岡本さん…私1人で大丈夫ですから…」
「由貴ちゃん1人で放っておけないよ…僕も当分出番無いし…付き合うよ。」
「すいません…」


『…………』

気付くと由貴がいなかった…
さっきまでいつもの様にスタジオの隅に立って撮影の様子を見てたのに…

さっきまで確かにいたよな?

「ちゃんと奥さん見てて下さいよね!」

『は?』

今…通りすがりにそんな事を言われた…
でもハッキリとした声じゃなくて…本当に小さな声……

それを言ったのは……彼女… 「 紅林 藍 」 だ……

歩いてる後ろ姿だけど…今この状況でオレに話し掛けられるのは彼女しかいなかった…

何だよ…一体どう言う意味だよ……