06





「どうしてまどかちゃん坪倉さんの事『大ちゃん』って呼ぶんですか?」

アパートの住人の相楽さんが不思議そうな顔でオレに聞く。
平日の昼間ランチを食べた後の会話だ。

「お名前に『大』って言う文字…付きましたっけ?」

相楽さんはデパートに勤務してる。
だから平日が休みだ。
20代後半の肩にかかるちょっと茶色の髪でなかなかの美人だと思う。
諸々の事は失礼なので聞いた事は無い。

「え?ああ…大家だからなんだそうです。」
「仲がよろしいですよね。」
「ああ…アイツの親にも頼まれてるし…未成年だし…落ち着き無いし…」

お互いの部屋が行き来出来てる事は内緒だ。

「可愛いですもんね。」
「可愛い?可愛いかな?」
「あら…」
「え?」

オレ何か変な事言ったか?

「あ!あの坪倉さん後でドライバー貸してもらえません?」
「え?ドライバー?」
「流しの下の扉のネジが緩んじゃたのか外れちゃうんですよね。」
「じゃあ後でまどかが帰って来たら見てあげますよ。今はお店空けるわけにはいかないんで…」
「え!良いんですか?」
「そのくらいなら多分オレでも直せると思うんで。」
「ありがとうございます。」
「じゃあ後で。」



「え!?良美さんの部屋にお呼ばれしたの?」

お店に出て来たまどかが驚いた顔で念を押す。

「大袈裟に言うな!お呼ばれじゃなくて扉の修理。」

「そんなの口実でしょ!」

「は?何の?」

「お互いの!良美さんは大ちゃんを部屋に呼ぶ口実で大ちゃんは良美さんの部屋に行く口実!」

「何だそれは?」

勘ぐるのも程があるぞ。

「はいはい!早く行きなよ。あたし店番してるから。」
「何だかヤな態度だな。」

「別に!どうぞごゆっくり!」

「………」

何でそんなトゲトゲしいんだ?




「あ…すみません…お忙しいのに…」

「いえ…まどかが店番してるんで今のうちに。」

そんな挨拶を交わして部屋に上がる。


「どうです?」
「今まで空いてたネジ穴が緩んでバカになってる。なのでネジの穴の場所ずらせば大丈夫です。」
「そうですか?良かった…でも助かります…やっぱりそう言う事ってあまり慣れてないですから…」
「このくらいなら…」
言いながら蝶番を外して新しい場所に取り付けた。

「あの…坪倉さん…」

「はい?」

座って相楽さんに背を向けたまま返事をした。
ネジは後1つ…

「あの…」
「よし!完了!」

そう言って立ち上がって振り向くとすぐ後ろに相楽さんが困った様な顔で立ってた。

「あ…他に何か困ってる事あります?」

思わずそんな言葉が出た。

「いえ…あの…」

随分言いにくそうで…そんなに困ってるのかな?

「坪倉さん……クラシック音楽って苦手ですか?」

「はい?」

彼女から出た言葉はそんな話だった。




「で?デートの約束してきたんだ。」

「デートなんかじゃない。一緒に行く人が都合悪くなって券が余ってるのと
今日のお礼も兼ねてだよ。」
「でもOKしたんでしょ?」
「仕方ないだろ…お店の休みの日だったし…困ってたし…露骨に断るのも悪いと思ったんだよ。」
「都合が悪いって言えば良いじゃない。」
「何でそこまでして断らなきゃならないんだ。」

って何でこんなにもいい訳の様に説明してるんだ?オレ…?

「別にいいけどね。大人の男と女だもんね!」

「何だよその言い方…こう見えても昔は良くクラシックのコンサートに行ってたんだぞ。」

「奥さんと?」

「!!!」

何故だか…胸の奥がドクンとなった…何でだ…

「でも大ちゃんにとってはいい刺激になるんじゃない。」

「は?どう言う意味だ?まどか?」

そう声を掛けるのと同時にお店のドアが開いてお客さんが3人入って来た…
だからそこで会話が途切れた。

「いらっしゃいませ。」


まどかは何も気にする様子も無く接客に専念してる…

オレはそんなまどかの姿を目で追って…

オーダーを告げに来たまどかとは視線を合わさずにやり取りを交わした…






『あなた眠ってなかった?』


文香がオレをからかう様に覗き込んで笑う。
オレはちゃんと聞いてたとちょっとムキになって返事をしたのを覚えてる。


「やっぱり生の演奏はいいですね。今結構クラシックってブームだから
CD聞いたりはするんですけど…なかなか大音量じゃ聞けないし…」

「すいません…防音設備無くて…」

「あ…いえ…ごめんなさい…そんなつもりは…」

「わかってます。冗談です。」


そんな話をしながらコンサートホールを後にした。




「……くすっ…坪倉さんって結構普通にお話なさるんですね。」

「え?…一体普段どんな風に思われてるのか気になりますけど…」

「あ…そんな変な風に思って無いですよ。いつもはお店のマスターって感じで
こう言う風にお話した事が無かったから…まあまだあそこに越して1年も経って無いですから…」

「そうですね…」

考えてみたらお店でしか話した事無かったかもしれない…

「………」
「!?」

彼女が急に黙ってオレを見る。

「どうしますか?真っすぐ帰りますか?」
「え!?あっ!!そ…そうですね…どこかで食事でも…」
「はい。」
「何かリクエストあれば…オレあんまり外食ってしないんで…」
「いいですよ。じゃあ職場の後輩の女の子がお勧めのお店があるんですけど…」
「じゃあそこで…」

何とも情けない…本当ならオレから誘うべき所なんだろうな…
なんてちょっと…いや大分落ち込む…
文香と来てた時はあんまり外食せずに帰ってからオレが作ってたから…

『プロがいるのに余所で食べるなんて勿体ない。』

って良く言ってた…





「…はあ…疲れた…」

玄関に入ってよろけながらキッチンに辿り着いてイスに倒れ込む様に座った。

「コーヒー飲みたい…」

そう呟いても身体は動かず…でも何でこんなにダルイんだ?ああ…お酒飲んだからか?

結局食事とお酒が飲める店で勧められるままお酒まで頼んだ。
久々のアルコールで酔いが廻ってる…普段お酒を飲もうなんてあんまり思わないからな…
仕事の後もお酒よりコーヒーが飲みたくなる…


「大ちゃん ♪ 」

いつものドアからまどかが顔を出す。

「お帰り。」
「……ただいま…」

キッチンテーブルの上に両腕を載せてダラけてるオレ…もう何もかも面どい。

「どうだった?楽しかった?」

そう言いながらテーブルに近付いて来る。

「まあな…」

つまらなくは無かったが…楽しかったかと言えば…別に…だ…

「あー!お酒飲んでるの?大ちゃん!」
「大人のデートだからな。」
「デートじゃ無いって言ってたくせに。」

オレはそう思ってたけど相楽さんは違かったみたいで…
鈍感なオレはお酒が入った頃に気が付いた。

『坪倉さんはどなたかお付き合いしてる方いるんですか?』

って聞かれた時にもしかして…なんて気付いてしまった…だから余計気分が重いのか…


「お酒クサイの嫌だって言ってるのに!」
「ああ…そっか…そうだった…」

まどかが酒臭いのを嫌がるんだった…
だからオレ飲まない様にしてたんだっけ…?あれ?どうだったっけ?

随分酔いが廻ってるらしい…

「コーヒー淹れてあげるから飲むでしょって言うか飲めっ!」

「…うん…飲みたかったんだ…サンキュ…」

「まったく…」

ブツブツ言いながらコーヒーを淹れてくれてる。



「ちゃんと聞いてた?大ちゃんの事だから眠ってたんじゃないの?」


「 !! 」

『あなた眠ってなかった?』

「…くすっ…」

思わず鼻で笑ってしまった。

「大丈夫。ちゃんと聞いてたよ。」
「そう?はい!コーヒー。」

オレの前にコーヒーを置きながらまどかが反対側のイスに座る。
そしてオレと同じ様に両腕をテーブルに乗せてオレを覗き込んだ。

「ふあ…酔ってるせいかウマイ!」

一口飲んでそんな冗談を言う。

「あ!なによそれ!人がせっかく淹れてあげたのにっ!」
「喚くなよ…疲れてんの…」
「もう…大ちゃんご飯は?」
「食べたよ…」
「え?外で食べたの?」
「ああ…相楽さんお勧めのお店でね。」
「ふーん…」
「何だよ?」

「何だか勿体ないなぁって…大ちゃんだってプロなのにさ。
あたしなら帰って大ちゃんの作ったご飯食べる。」

「 !!! 」

………何でなんだ……まったく………何なんだよ…お前は…

「たまには他人の作った料理食べるのもいい…」
「何だ!じゃあ今度あたしが作ってあげるよ ♪ 」
「はあ?作れんのかよ?」
「毎日お弁当作ってるもん。」
「お弁当って…」

どんなレベルだ?

「大ちゃん…」
「ん?」
「何か疲れてる?」
「え?ああ…ちょっとな…」

「まさか…」

「まさか?」

「2人でいやらしい場所でいやらしい事してたんじゃないのっっ!!」

「はあ?何言ってんだ?」

オレはそんな発想の飛躍にびっくりだ!!

「だって大人のデートだってんでしょう!」

「勘ぐり過ぎ……まったく……ふあ…さてと…さっさとシャワー浴びて寝よ。」

そう言ってダルイ身体を引きずって浴室に向かう。

「まだ10時過ぎだよ。」

まどかが壁に掛かった掛け時計を見てそんな事を言う…

「もう横になりたい…」

「大ちゃん…」

何でだかとにかく休みたい…


シャワーを浴びながら文香の顔が頭の中に浮かんでくる…

他人と付き合わないのは他人と接する事で文香の事を想い出してしまうからなのか…

案の定…今夜昔文香とした事と同じ事が繰り返されるとこんなに落ち込む…

オレはまだ…文香がいなくなった事を受け入れる事が出来てないのか…




「大ちゃん…」

まどかがまだイスに座ってて戻って来たオレに不安げな視線を送る。

「まだいたのか…」
「だって…」
「まどか…」
「ん?」


きっと久しぶりに酔ってたせいか…文香の事を想い出したせいか…

いや…文香の事はいつも想い出してる…でも今夜は…


「オレが眠るまで……一緒にいてくれ…」





ベッドの中でオレは子供の様にまどかに…17歳の女の子に30の男が抱き着いてた…

頭をまどかの鳩尾にうずめて…



「大ちゃん…どうしたの…」

「……疲れたんだ…すごく…」

「そんなに?どうして?」

「……相楽さんと一緒にいたら次はどうしてあげなきゃいけないのかとか…
こう言ってあげなきゃいけないとか…気を使わないといけなくて…
でもオレはコンサートの後食事すらも誘う事を忘れてた…
って言うかまったく思わなかったんだよな…なのに文香との事だけは想い出して……
こんな時はこんな話したとか…こんな場所ではこんな事したとか…
でも…そんな事…想い出したくなんかないっっ!!
文香の事を想い出す度にもう文香がいない事を嫌って言う程思い知らされる!!」

「大ちゃん…」

今日オレは変だ…デートなんてするもんじゃない…

「オレが寝たら部屋に帰っていいからな……」

17の子供相手にそんな弱音を吐いた自分が情けなくて…
まどかの鳩尾に顔をうずめたままそんな事を呟いた……

大人の貫禄なんてありゃしない…


「うん…」

「……悪いな…付き合わせて…」

一応謝っとく…それも何だか情けない気もするが…今夜は無理だ…

「ううん…でも大ちゃん…」

「ん?」

「奥さんの想い出って…辛い事だけなの?」

「 !!! 」

「?」

ピクリとなったオレに気付いたまどかがオレを覗き込んだのがわかった…

「そんな事…無いよ…」

そう…楽しかった事や嬉しかった事だってたくさんある…

「幸せだった想い出だってたくさんある…」

「そっか…良かった…………チュッ!」

「 !!! 」

まどかが…オレに屈み込んでオデコにキスをした!

「おやすみ…大ちゃん…きっと良い夢が見れるよ…あたしのキスと抱き枕なんだから。」

「……くすっ…そうだな…」


オレは頷いてそのまま眼を瞑った…

いつものまどかのとんでもない行動はオレを癒してくれる……

いつ気付いたかは忘れたが…そう気付いて納得した自分がいた…不思議な事だが…


そんなまどかの言葉通り…

その日見た夢は…フカフカの雲の上でのんびりと眠りながら…

空を飛んでる夢だった…