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映画の撮影が始まって1週間が過ぎた…
惇哉さんの登場はちょっと経ってからだから他の出演者よりも少し遅いスタートだった。
だから今日が初めてのスタジオ入り…
今回が初めて共演する人や何度か共演した人…
「おはようございます!楠さん。」
「あ…」
高瀬亜優さんだ…
「初めまして!やっとお会いできました!」
「くすっ…初めまして。元気だね…亜優ちやん。」
「はい!私ずっと楠さんと一緒に仕事したいと思ってたんです。」
「そうなんだ。」
「はい!私ずっと前から楠さんのファンでしたから!だから今回相手役に選ばれて嬉しくて!!」
「へえ…」
「あ…すいません!私ったら長々と…支度ありますものね。ごめんなさい。じゃあまた後で…」
1人で喋ってあっという間にいなくなっちやった…
「元気な娘だね。」
「うん…でも明るくて仕事も頑張りそう。」
「妬いた?」
「え?…何で?」
「ならいいけど。」
「何よ…ただ昔からファンだったって言ってただけじゃない…」
「ふーん…大人になったな由貴。」
「何よどう言う意味!?」
「別に。」
「うそ!」
「本当だって。」
もう何だって言うのよ…
でもやっぱり…女優さんてみんな綺麗か可愛いのよね…
「わあ…白衣だわ……しかも微妙に汚れてるし…」
控室に置いてあった衣装の白衣を見て思わず感心。
「今回の衣装はそんなんばっかだから楽だよ。」
「いよいよ始まったのね…」
「ああ…」
「楠さん入りまーす!」
そう声が掛かって…彼が俳優の 『 楠惇哉 』 になった…
シーンは初めて女刑事の高瀬さんが惇哉さん扮する謎の男 『 石原竜二 』 が
入り浸っていると言う大学の講舎の一室を訪ねるシーン…
『あんた……誰?』
「 !! 」
思わずドキリとなった……
だって…そこに居た惇哉さんが演じる 『 石原竜二 』 と言う人物は…
今まで見た事の無い…惇哉さんだったから…
「…………」
目の前を惇哉さんが歩いてる…
休憩時間で控室に戻る途中だけど…こんな事初めて…
惇哉さんに声が掛けられないなんて…
だって…声を掛けれる雰囲気じゃ無くて…
パタン!と控室のドアが閉まっても惇哉さんはドアに背を向けて立ったままで…
「あ…コーヒー…淹れるわね…」
何だかこの雰囲気にいたたまれなくてそんな口実で動いた…
と言うかそんな口実がないと動けなかった…
グ イ ッ !
「あっ!」
惇哉さんの横を通り過ぎようとしたら腕を掴まれて…
また万歳状態で壁に両腕を押さえ付けられた。
「惇…」
『由貴…』
「!!」
惇哉さんの声なのに…惇哉さんの顔なのに…この人……
『由貴…』
うっすらと笑いを浮かべてる……でも目は笑ってなくて…
「あ…」
ゆっくりと彼の顔が近付いてくる…
「や……んっ!」
顔を背けたのに…強引に口を塞がれた。
「…ンッ…ンン…」
ダバコの匂いと味が口の中に広がる……やだ…違う!この人は…
「……いやっ!!」
何とか顔を背けて彼からのがれた。
「はぁ…はぁ…」
「………由貴…?」
「惇哉…さん?」
「…あ…ごめん………今…オレに近付かない方がいい…」
そう言って軽く笑って私から離れたイスに座る。
「…………」
目の前にいるのは確かに惇哉さん…でもついさっきまでは…
ううん…今も…あそこにいるのは人間嫌いで…他人に興味が無くて…
自分の快楽の為なら殺人も犯しかねない… 『 石原竜二 』 と言う男……
確かに今までと違った役だけど…ここまで役にのめり込んでる惇哉さんは初めてで…
やっぱり惇哉さんって…凄いと思った。
「……何だよ由貴…何でオレの事避けるの?」
惇哉さんの部屋のリビングでソファに座ってる惇哉さんが
キッチンテーブルに座ってコーヒーを飲んでる私に言う。
「別に避けるのわけじゃ…」
結局部屋に戻ってシャワーを浴びて出て来るまで惇哉さんは 『 石原竜二 』 だった…
だから勝手に身体が反応して…警戒しちゃう…
「じゃあココに来て。」
「………」
自分でもわからないけど歩く足が重い…
「何でそんな態度?」
ソファで隣に座ったら向き合わされた。
「だって…」
「オレが 『 石原竜二 』 でキスしたから?」
「……だって…知らない人にキスされたと思ったの!
見た目は惇哉さんだったのに…全然知らない人みたいで…怖くなって…!!」
「ちゅっ…」
「惇……」
惇哉さんがいきなりだけど優しく触れるだけのキスをした…
「今のは?怖かった?」
「……ううん…だって惇哉さんだから…」
「くすっ…」
「惇哉さん…?」
「由貴は嬉しい事を言ってくれる…」
「?」
私は言われてる意味がわからなくて…
「役者の 『 楠惇哉 』 には最高の褒め言葉だよ…
見た目はオレなのに由貴には知らない人だって感じたんだろ?」
「うん…」
そう…あの時は本当にそう思った…
「で…オレにとっては由貴はオレ以外の男とのキスはダメって事がわかったし ♪ 」
「え?」
「だってさ…演じてたとはいえオレだったのに由貴は嫌だったんだろ?
なのに今のキスはオレだから大丈夫だったって…それってオレ以外の男はダメって事だろ?
それってオレが特別って事だろ?だからこんなに嬉しい事はないじゃん ♪ 」
「………惇哉さん…」
惇哉さんがとっても嬉しそうに笑う…
「由貴 ♪」
「ん…」
今度は触れるだけじゃないキスを……ずっと2人でしてた…
「由貴…」
「………」
惇哉さんが優しく…でも力強くギュッと…私を抱きしめてくれた…
今の惇哉さんは…いつもの惇哉さん……だから私は……
「 ! ! 」
オレは心臓が跳ね上がった!
由貴は…わかってるのか…?由貴の腕がしっかりとオレの背中に廻されてる!!
自然と由貴を抱きしめてた腕に力が入って…顔がニヤケた。
「…………」
目の前の寝室のサイドテーブルの上に今回の映画の台本がある…
何故か今回の台本は私は見せてもらえなくて…
「ちょっとだけ…」
惇哉さんはまだ寝てるし…
「……おはよう由貴!」
ビ ク ン ! !
台本に伸ばした手がピタリと止まる。
背を向けてたベッドを振り向くと惇哉さんがいつの間にか起きてた…
「お…おはよう…」
「何しようとしてるのかな?由貴?」
「別に…」
「由貴は見ちゃダメだって言っただろ。」
そう言って私の横から惇哉さんの手が伸びて台本を持って行った…
「何で見ちゃダメなのよ!」
私は抗議の声をあげる。
「だから言っただろ!先に犯人がわかったら面白く無いから。」
「私はマネージャーなのよ!スタッフさんにも周りの人にも聞いちゃダメだって言うし…
もう一体なんなのよ!」
「由貴…」
「な…何よ…」
惇哉さんが私の腰に腕を廻して抱き寄せた。
「あと少しの我慢。そしたら教えてあげるよ。」
「本当?」
「ああ…約束する。」
約束するよ…由貴…
「由貴…」
「ん?」
「おはよう。」
「おはよ…ンッ!」
いつもの…長い長いおはようのキスが始まった…
「やっぱり楠さんって凄いですね…」
出番がまだ先の高瀬さんが私の隣に立って惇哉さんの演技を見つめながら頷いてる。
撮影も順調で3分の1は撮り終わってる。
「休憩の時にちょっとお話しようかと思ってもあの 『 石原竜二 』 の雰囲気でずっといるから
近寄りがたくて…私の今の役の立場だと 『 石原竜二 』 には欝陶しい事この上ないですからね…」
そう言って残念そうに笑った。
確かに 『 石原竜二 』 の時の惇哉さんは私でもあまり近付きたくない…
「いつもはあんなに役に入り込まないんですけど今回は特別な思い入れがあるみたいで。」
「当然ですよ。北館監督作品ですもん!それに今回は私も楠さんも初挑戦な事だし!」
「初…挑戦?」
何だろう?私そんな話何も聞いてない…
彼女を見つめると彼女はすでに目の前の惇哉さんの演技を食い入る様に見つめていたから…
それ以上は聞けなかった……
「今日高瀬さんと話したのよ。」
「どんな事?」
惇哉さんがソファに座って台本を読むのをやめて私の方を見つめる…
「ねえ…」
「ん?」
「初挑戦って何?何の事?」
確かに彼女はそう言ってた。
「彼女がそう言ったの?」
「うん…」
「他には?」
「何も…」
「そう…」
「惇哉さん?」
「後で教える…」
「本当に?」
「ああ…後で…ね…」
「わかった。絶対よ!誤魔化し無しですからね!」
「誤魔化したりなんかしないよ…」
「ん?」
何だか惇哉さんの態度が今までと違う…
とっても真面目な…考え込んでる様な…
そんな顔だった…